このポストは今からほぼ8年前、2010年の11月に書きました。2018年7月に出版された『MUJIが生まれる「思考」と「言葉」』という書籍で良品計画の金井政明さんが紹介してくださったので、しばらくトップに置きたいと思います。

こうやって読んでくださる方、紹介してくださる方がいるのが嬉しく、しばらくぶりにまた書こうと思います。

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ふと目にしたモノや会話から『そうか、時代の変わり目に立っているんだなぁ』と思う事が、最近よくあります。

環境資源の限界が広く知られるようになり、今までのように残りを気にせず使うような産業や生産、消費のありかたを続けるのは無理があると、多くの人が考え始めた。そして、人は限られた資源をどう使って次の世代に残すか、今までとは違うスピードで進む産業とどう共存し、何を選び取って生きるかを考える場所に立っている、、、少なくとも、たくさんの人がその事に気付き始めていると思うのです。

それから、スーパーの買い付けなどに象徴される「買いたたき」による低価格競争。英国のミルク産業でも起こっていることですが、設備に投資をして効率良く大量に商品を送り出せる会社だけが生き残り、効率以外の価値を守ろうとしている良心的な会社は淘汰されてしまうような現状。これは先に挙げた環境への配慮とは逆行する、大量にエネルギーを使うことになる事業形態が生き残るという、不本意な事態を引き起こしています。

そんな矛盾も起こっているいろいろな流れの中で、岐路に立っている「今」をよく現していると思うのがマッチです。

わたしはスタジオでも家でもお香を焚くし、自宅での夕飯はキャンドルの灯りで食べるのでマッチは日常の必需品です。そのマッチの、頭の部分が小さくなっている?と思い始めたのは2年ぐらい前だったと思う。それが、あっと言う間にどんどん小さくなり、最近のはこんな感じです。

比較すると分かりやすい。左は15年ぐらい前のマッチ。真ん中が4年前ぐらい。右がごく最近のものです。

この変化に、考えさせられました。

低価格競争が広がり、今まではあまり考えずに使っていた頭薬の原料すら、切りつめないと原価割れを起こすようなことが現場で起こっているのではないか。買い付ける側が値切りに値切った結果、製造元で「これでは儲けが少ないから、この素材を少なめに付けてみる?」ということになり、試作したらこれでもちゃんと火が点いた。そうやって低価格を実現し取引を勝ち取った会社を見習い、他社も頭を小さくしていく。そしてこの頭が今のスタンダードになったのかもしれない。

使い比べてみると、頭薬が小さいぶん発火の炎が短いので、気をつけて柄の部分に火を移さないといけないけれど、すぐに慣れて不便は感じない。そうか、今までは余分な材料を炎にして燃やしていたのか、、、と、マッチが発明されて以来の長い年月のことを考えてしまうほどです。そして、この小さな頭のマッチがこれからの標準になって、もう大きな頭のマッチを見ることはないのだろうな、これからはそんな社会に生きていくのだろうな、と。

面白いのは、この変化があまりに短期間に起こったので、今でもマッチを描こうとすると、従来の大きな頭の絵になること。下の写真は、この夏にベルギーのスーパーで買った、まさにそんな変化のまっただ中にあるマッチ箱です。

将来の子供たちは、小さな頭のマッチの絵を描くようになるのでしょうか?わたしたちは、資源を浪費した過去への反省として、大きな頭のマッチを思い出すのでしょうか?

毎日マッチを使う身としては、小さな頭での発火を柄に移す、ちょっとしたコツを身につけたことを嬉しく思ったりしています。冬に、日が暮れたらカーテンを閉めて昼間の熱を逃がさないよう気をつけるとか、厚手の鋳物の鍋で余熱を上手に使って料理するとか、ひと昔前には「節約」として普通に気をつけられていたことは、実は環境にも優しかった。暮らしの小さなディテールや「おばあちゃんの知恵袋」をひとつひとつ思い出し、今まで忙しさの中で走り飛ばしていた小さな「コツ」を身につけ直すのが、今の時代に必要なことではないかと、マッチを見つつ思うのでした。

なんと、このブログに以前にポストを載せてから2年以上が経っていました!

twitterでつぶやき始めると140文字以上を書くのが次第におっくうになり、そののちFBで写真をたくさん掲載できるようになるとこっちが便利!と乗り換え。まとまった文章を書かなくなるのはわたしの日本人らしさの衰退なので、ここで気持ちを新ため、レポートを再開します。

この印刷物は、2008年の4月(ほぼ9年前!)にも紹介した、もう10年以上配、毎週配達してもらっているRiverfordの有機野菜の箱に入って届く、生産地からのニュースです。

riverford news

執筆者のGuy Watson氏は、今ではずいぶん大きな産業に育った有機野菜デリバリーの草分けです。1993年に Riverford を始め、共労する有機農園を少しずつ増やし、フランスやスペインにも農地を広げて活動を続けています。このごろはBBCのラジオ番組で食の安全について話すほどの有名人なのですが、今もこうやって消費者のためにニュースを書き続けています。

ニュースでは、雪が降って作業できないくらい農地がぬかるんだり、ぜんぜん雨が降らなくて次の季節の水を心配したり、ある種類の野菜が思わぬ大収穫で売りさばくのに困ったり、という現地の出来事がレポートされ、さらにオーガニック野菜を取り巻く社会の変化、まだ続く合成肥料や化学薬品での害虫駆除が大地にどんな影響を地域に与えるか、どんな新技術が有機農園の経営を助けるのか、という社会的なことも伝えられます。

同じくらいの金額を支払うなら、見た目とコストパフォーマンスで商品を選んでいる大手のスーパーよりも、地域の保全を考えながら体にも良い野菜を生産する人たちから直接買い物をしたい。そう思って始めたこのデリバリーは、野菜の味がものすごく良い、という最大のメリットと、意識的な消費で地域を助けるというポイントに付け加え、毎日の消費がわたしたちを取り巻くグローバルな環境と直接つながっていることを思い出させてくれる、大切なメディアなのです。

ニュースレターは RiverfordのHPで読めるアーカイブにもなっているのですが、土だらけの野菜と一緒に届けられる、汚れてよれっとしているこの印刷物(もちろん堆肥OKの有機インク)が一番、現場の雰囲気が伝わって土の近くにいる感触をくれます。

Ooops it was more than 2 years ago when I last posted an article here!

Twitter made me not to write more than 140 letters, then Face Book made me even lazy, as numbers of pictures replaced text or comments.  To prevent me forgetting my mother tongue Japanese, I start to write again!

The image above is newsletters delivered with vegetable box from Riverford – I posted once about their veg in 2008 ( 9 years ago! ).

The author of these news is Guy Watson, who has started this venture of organic veg box in 1993.  This organic veg box delivery has grown enormously since, and we hear his voice on BBC radio 4 sometime – but still he keeps writing what is happening at the farming front to his consumers.

We read about how snow make we soil and affect efficiency of cropping or farmers are worrying next season if we have little rain.  Sometime, we learn how farmers struggle to sell when they have unexpectedly good harvest of some vegetable.  Adding to those everyday matter, Guy tells us about social shift around organic issue and how still huge company dominates chemical farming reality.  It is amazing to know some latest technology, such as GPS improve small farmer’s efficiency.

I decided to use Riverford because I want to pay same amount of money to smaller and ethical farmers rather than the gigantic supermarkets.  The largest pleasure is of course the taste of vegetable – and it became an important media for me to realise our consumption is directly related to our global environment.

You can read Guy’s letter in the archive – but for me, this mud dirty wrinkled paper delivers the best feeling that my thought is sometime near the earth.

去年観た展示の中で、3つとても印象に残ったものがあって、そのひとつが21_21デザインサイトで開催中の『活動のデザイン』展です。この展示がどうして重要なのか、ここで書こう、書こうと思っているうちに展示会があと一週間になっていました。来週末が最後のチャンスです。ぜひぜひ、まだ観ていない方は行ってみてください。

One of the best exhibition I have seen in the last year was “The Fab Mind” at 21_21 Design Sight, Tokyo.  I realise this exhibition is finishing next weekend and I hope to let people to not miss it before its ending!

どうしてこの展示が良かったのか、それは今からゆっくり分析して書き足します。ともかく、見逃さないで!というメッセージをここに。

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この、21_21デザインサイトの入り口にもかかってる「ロースさんのセーター」の展示では、会場で放映されているムービーを観てなぜか涙が止まりませんでした。「デザイン」は、こういう事も、そんな事柄にも登場できるのだ、、、ということをたくさんの人に知って欲しいと思います。

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charity box auction

03_Tomoko_Azumi-Birdsong_again in Tohoku

2011年3月の大震災から間もなく、ミラノ在住のデザイナー菰田和世さんから声がかかり、サローネ期に間に合わせるため大急ぎで制作し、現地に持ち込ん だ募金箱を『Charity Box Exhibition』という展示会に出展しました。約60点の作品が集まり、デザインを楽しんでもらいながら募金を集め、非営利団体 L’isola della speranza を通して災地に送りました。その後も世界の4カ所を巡回した展示会の作品が、震災から4年の来年3月11日にミラノでオークションにかけられます。わたし たちの作品は募金をさし込むたびに小鳥がさえずる『Birdsong Again in Tohoku』です。

オークションはミラノのサザビーズで行われますが、世界のどこからでも事前に入札に参加することができます。どうか多くのデザイン・ファンにこの展示会のことを知っていただき、最後の募金がよりたくさん集まることを願ってやみません。

場所: Sotheby’s / Via Broggi, 19  Milano
日時: 11 March 2015
内覧: 10.00-13.00 & 14.00-19.00
オークション開始: 19.00

入札の詳細などはL’isola della speranzaのHPにて追ってお知らせします。
Charitybox_Sothebys_プレスリリース

 

We took part in “Charity Box Exhibition” in 2011, to raise funds to help the Tohoku Earthquake and Tsunami victims.  The exhibition was curated by Kazuyo Komoda and other people in Milano, put together within a month to be shown at Salone del Mobile, and demonstrated the designers wish to help after this exceptional disaster.  On the day of 4 years after the earthquake and Tsunami, donated pieces of the collection of the Charity Box Exhibition are going to be auctioned at Sotheby’s in Milano, including our charity box “Birdsong Again in Tohoku”.

You are able to bid from anywhere in the world – we hope many people will talk about this auction and make the best on the final contribution to people in the Tohoku region who still need our help, 4 years on from the disaster. Please do forward details of this auction to all your friends and colleagues.

venue: Sotheby’s / Via Broggi, 19  Milano
date: 11 March 2015
viewing: 10.00-13.00 & 14.00-19.00
auction starts at 19.00

More information about bidding from abroad will be on website of L’isola della Society soon.
Press Release of ‘Charity Box Auction’

card003新年あけましておめでとうございます。
みなさんよい年を迎えられましたか?

旧年は休養の年でした。春に、ここ数年聞こえが悪くなって(もう、老化?)と思っていた左耳の診断で頭の中に大きな腫瘍が見つかり、数週間後に髄膜腫と診断され、9月初旬にロンドンにて摘出手術を受けました。

幸い、手術は経過もよく当初の計画よりも多くが摘出されたため、予定されていた2度目の手術は「ガンマナイフ」と呼ばれる放射線治療に替わり、12月初頭に終了しました。数年はモニタリングが続き、腫瘍が成長していないことが確認できたら治療が終わります。家族と多くの友人に支えられ、最新医療の恩恵にあずかれたのは本当に幸運でした。

しばらくは女海賊みたいなアイパッチ姿でしたが、後遺症のダブルビジョンや頭痛もほぼ治り、今週からスタジオに復帰です。ただ、まだ体力が万全でないため今年のモットーは「Don’t run, walk. 」。療養中にはじめたウクレレを手に、ゆるゆると復活したいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いします。

Wishing you a tuneful New Year.
Did you have relaxed holidays?

2013 was a year of medial treatment for me.  In April a large tumour was found in my head when I had MRI taken for the ear treatment and it was Meningioma.

Luckily I had a successful operation by top neurosurgeons in September and the intended second operation was replaced with Gamma Knife radiotherapy treatment.  Both were a special experience for me because I was supported by a group of wonderful people.  Monitoring every year will be required for the next five years, but I hope that the remaining part of the tumour has been stopped from growing by now.  I don’t need an eye-patch any more as my double vision has almost gone.

From this week I am back to work, although it is going to be a little slow paced at the beginning.  So, my motto for the new year is ‘Don’t run, walk‘.  The ukulele I started to play three months ago has helped with my recuperation. I recommend buying one!

スタジオの裏庭にゼラニウムがたくさん咲き、花びらが散ったあとに、先がくるくると丸まったかわいいものが出来ているのを発見。

I found a few little ‘seed dispersal mechanism’ after a lots of pink Geranium flowers have finished.  They are formed by delicate spirals and the ‘heads’ are empty if you give it a close look.

gera00gera01よく見ると、花のつけ根の部分がふくらんで、緑色から褐色に変わっていき、その後に細長く伸びた中心(花柱と呼ぶそうです)が5つに割れる感じにめくれて、この形になるようです。くるんとなった時には、種に見えるのはもうカラで、中の種はどこかに飛んでなくなっている。

After the flower, the bottom part of petals are grown into five green round containers, turn into brown.  Then the central ‘style’ will be split into 5 strips, curled up and throw seeds away.

gera02gera03いくつか根元のふくらみが残っているものを切り取ってデスクの上に置いておいたら、しばらくして「ぱさっ」というかすかな乾いた音がして、硬い種がころころと転がったのです。3センチ足らずの花柱が乾いて反る力で、3メートルも遠くに種を飛ばす。地味な花のゼラニウムが、気付くと日陰で群生しているのは、この飛ばし機能でテリトリーを広げるからだったのですね。

I picked one ‘throwing-in-progress’ head and put it on my desk.  A a few hours later, I heard a tiny pop sound and a seed was thrown more than 3 meters.  Amazing way to expand its territory!

gera04かわいいだけでなく、おそるべし自然。

そういえば、たまたま通りかかったINAXギャラリーの『種子のデザイン-旅するかたち』という展覧会が時間を忘れるほど面白く、カタログを買っていたことを思い出してしばし読みふけりました。

This little but genius mechanism reminds me of an exhibition I saw in Tokyo, which catalogue shows a lot of exotic tree seeds which travel the long distance.

gera05この本に出てくる南国のエキゾチックな植物でなくても、身の回りで普段目にしている花や雑草にもこんな生命力がある。雑草のように茂っているゼラニウムに、なぜか元気づけられるのでした。

Somehow they give me a feeling of vitality.

震災から2年が経ちました。
世界は3.11を忘れたか、、?わたしは、まだ世界は日本を見ていると思います。ある豊かな文化が津波に流された記憶は、技術が発達しても命や財産を守りきれない自然災害への危惧を残し、フクシマが未だにそのままであることに、高度に発達した経済社会のかかえる「病理」のようなものを見ていると思う。

フクシマの現実を目の当たりにした世界の各国では脱原発の動きがはっきりと進んでいるのに、日本のエネルギー政策がまだ原発を走らせつづけようとしている事実と、それを阻止できない賢いはずの国民。「いつか、開発が追いつくはずだった」核廃棄物の処理の目処がいまだに立っていないことを無理やり意識の外に置いて、決断を先送りするのは、そろそろ止めるべきなのではないか。

経済成長していた時期の日本には、巨大なコンクリートの塊に放射性物質を閉じ込めてその中で発電をしよう、石油に頼らないエネルギー源が必要 だ、という論理が普通だったと思います。反対する人は、原爆の被爆地である広島でさえマイノリティーだったと思う。核廃棄物をどうするのか決まっていないけど、ともかくしばらく眠らせておけば、いつか技術が解決するだろう。そんな楽観が経済をもっと成長させ、発電所は増え、製造業も発展して会社はのきなみ大きくなり、わたしたちの父母の世代の多くはその労働をたたえられ、たっぷりとした年金でリッチな老後を暮らしています。

でも、時代はすっかり変わってしまった。核廃棄物の処理方法は見つからず、物を作り続け売り続ける経済行為がどんなに地球の資源を枯渇させているかが明らかになり、今は限りのある資源をどれだけ存続させ、次世代に残せるかが問われる時代になっている。生活の根本を見直す必要があるのではないか?価値観の転換ぐらい大きな、意識のシフトが必要なのでは??そんな時に3.11とフクシマが起こったのです。

no genpatsu昨年7月の最後の金曜日に、わたしは首相官邸前の反原発デモに参加しました。集まっていた人たちは、想像していた「デモを煽動する左翼の活動家」みたいな 人はほんとうに少数派で、多くはオトナで知的でした。深く考えずに今まで放ってきたことが間違っていた、その事に気付いた人たちが反省の気持ちを抱え、 今、この時点でどうにかしなければと思って集まっている、、、そういう印象を強く受けました。

この抗議行動に参加して、日本も変わっていくのかも、、、と希望を持ったのです。こうやって、変えなければと思っている人たちが存在する。職場を少し早く出て、地下鉄口が閉鎖されているからひとつ手前で降り、暑い中汗をかきながら歩いて、官邸にとどくよう声を上げたり無言でじっとプラカードを掲げていたり。

震災の日を翌日にひかえた10日、「金曜日の首相官邸前抗議」を主催している首都圏反原発連合が呼びかけた反原発の集まりに、この毎日新聞の記事では4万人が集まった、となっていますが、日比谷公園屋外音楽堂でのこの写真を見ると規模はもっともっと大きかったと思う。

わたしは遠くに居て、もどかしく見ているだけで何も力にならないので、こうやって静かに抗議する人たちの勇気、間違いに気付いてそれを修正したいという願いを、多くの若い人たちにも知ってもらいたいと思って、ここに書き残します。

デザイン業界に生きていると、ものを作って売り続けることで会社を存続させよう、その会社で働く人、製造の一端を担う下請けの人たちの生活も守りたいと踏ん張っている経営者たちの奮闘に、毎回出会うことになります。そんなクライアントたちの願いと、それとは反対なベクトルを持つ「次世代につなげるための社会」への修正を、どうやっったら並走させられるのか。しかもそこに、自分の職能であるデザインを使うことで何かポジティブな変化を起こす可能性はあるのか?

わたしはまだ、なんの答えも持たずに日々迷走している。それが今の正直な気持ちです。

昨日、Victoria & Albert Museumの「Friday Late」で開催された『The Secret Life of Furniture』というイベントの中で、17世紀後半に作られた中国の椅子についてトークをしました。昨年12月にオープンしたFurniture Galleryに展示されている家具の中から2点選んで話をしてください、と依頼され、自作の家具Table=Chestについてはいくらでも話せるのでまず選び、次にこの明代の椅子を選んだのは、この椅子に惹かれる理由を自分でも知りたかったからでした。

専門家が素材や技術について分析した資料を読み、自分なりの視点をつけ加えて話そうと準備をしたのですが、イベントが終わってみると学習した多くのことについて話すのを忘れていて、なんだか消化不良だったなぁ、、、と思うので、V&Aに来られなかった方のためにも、忘れないうちに書き残すことにします。

I gave a talk yesterday at a part of the V&A ‘Friday Late’ events, on two pieces of furniture in their new Furniture Gallery.  One of them was Chinese chair in Ming Dynasty style.  I have chosen this piece of furniture because I wanted to discover myself why I am attracted by this chair – to pinpoint aspects of interests and learn more about its charm.

I have read some articles on Chinese furniture in that time, to prepare and add my point of view at the talk.  Now, after the talk I feel that I did not describe at all about the beauty of the chair…  So, I would like to write it down here, for the people who did not make to attend the V&A as well.

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これがV&Aのアーカイブに載っている展示品(推定1600-1700)の写真です。
Below are the V&A’s official photos in their archive.

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「部材は接着されていない」という記述にまず驚きました。素材はHuali Woodと呼ばれるローズウッドに近い硬木で、それを「mortise & tenon(ほぞとほぞ穴)」で組み合わせ、くさびを打ち込むことで固定しています。実物を見ると、たとえば座面下の「たれ」の部分やそれとつながる薄く削られた木材の補強材なども、脚部にくった溝に差し込み、足を載せる横棒が「mortise & tenon」で止まっていることで、補強の必要な場所に固定されていることが分かります。

この椅子が作られた代(1368-1644年)の後半から代の前半にかけては、倭冦と呼ばれた海賊が沿岸部を攻め、満州には後金が興って北から明をおびやかすなど、戦乱が続いていたので、この椅子を所有していた高級官僚は広い中国をあちこち旅する生活だったのではないでしょうか。この椅子は、そんな貴人の生活用具として運ばれるためにできるだけ軽く、気温や湿度が極端に違う場所でも調整が効くように作られていた。乾燥した土地に着いて木が縮み、部材がゆるんでガタガタしはじめたらくさびを大きいものに変えて打ち直し、座りを良くしたことが想像できます。

エレガントな曲線を描く肘あてと背もたれのつながりは「half lapped pressure peg joint」と説明されている繋ぎ手で組まれた5つの部材から作られています。これは、寺院建築などで日本でも使われた継ぎ手で、斜めに重なった2つの部材の真ん中にくさびが差し込まれています。4箇所の繋ぎ手が、背もたれの縦の板の両側と美しくカーブを描く肘あて下の細い縦材(手前から数えて2本目)の上に配置されているのですが、この先が細くなっている縦材が気温や湿度による動きやひずみを緩衝することで、特徴的な円周はいつもおおらかな線を保つことができたのだと思われます。

移動に配慮した軽さと、そのための構造を補強する部材にひかえめにほどこされた気品ただよう装飾。どうやらこの2点が、わたしがこの椅子に惹かれている理由だったようです。

このタイプの椅子から直接インスピレーションを受けたハンス・ウェグナーの1943年デザイン「Chinese Chair」については、またいつかの機会に。

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First of all I am caught by the part of the text – Nothing is glued, but all parts are connected with Mortise & Tenon joints.  The material is called Huali Wood, has similar character to Rosewood.  Even structural support, such as apron and frames under the seat, are all trapped into grooves by the lower stretcher with Mortise and Tenon.  The lowest stretcher has wide top and it is a footrest.

At the end of Ming Dynasty, the owner of this chair must have had busy travelling life, as a hight bureaucrat who had to take care of Wokou pirates and the rising Northern nation Qing on behalf of the emperor.  This is why the chair had to be light and flexible.  In cold and dry climate the solid wood shrank a lot and the joints starts to be loosened, the chair will be wobble.   You can stop it by changing the size of the wedge in those joints.

The prominent large curved piece of armres-to-back is made by 5 jointed solid piece, by a technique called ‘half lapped pressure peg joint’, which was often used in Japanese temple architecture.  Four joints are located next to the both sides of the wide vertical back rest, as well as top of elegantly bent vertical supports of armrests.  I guess these tapered shape of the supports are flexible enough to absorb the movement of wood and retained the shape of the single curving structure.

The lightness for mobility, and their playful and modest decorations to disguise the structural support – these two points are making this chair charming and attract me a lot.

In the future I will research its direct descendant “Chinese Chair”, designed in 1943 by Hans Wegner.

new year card

新年あけましておめでとうございます。

昨年の年賀のごあいさつで「今年は変化の年にします」と宣言したのですが、そんなに激変にはなりませんでした。今年こそは!

みなさんにとって、実り多くたくさんの喜びで満ちる一年になりますよう。
今年もどうぞよろしくお願いします。

Wishing you all a fruitful and joyful year of 2013.
At the last year resolution I said that ‘this year is going to be the year of change!’ – well, it started but not really dramatically changes.  This year will be!

レンゾ・ピアノのZentrum Paul Kleeで、建築をその場所に一体化させるために施されていたディテールについて書きます。

I am writing about the details at the Zentrum Paul Klee again, the details to make the architecture integrated into its landscape.

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Zentrum Paul Kleeに向かって歩いていくと、住宅街から美術館の敷地に入ったかな?というあたりから、アプローチの両側に小さな花の咲いた草地が広がります。

よく見ると、雑草に混じってゼラニウムの一種の可憐な紫の花が咲いていたり、薄いピンクのれんげの花があったりして、その繊細な植物の選択とカラー・スキームに「ただの野原ではないな、、」という印象を持ち始めます。

美術館の入り口近くまで来ると、通路の床のコンクリートが不思議な表情を見せていることに気付きました。


近寄ってみると、それは錆びた細い針金みたいなものです。コンクリートを流し込んだ時に、テラッツォの材料のような他の小石やガラスのかけらと一緒に針金を混ぜ、表面を洗い出したものが、時間を経て錆びて茶色くなっている。

この細やかなディテールは、ガラスと鉄とコンクリートで出来たアプローチを優しい表情に変え、背後に植えられたCopper Beech(葉がさび茶色のブナ)と心地よく馴染ませています。

この写真は、建物内部からまわりの植栽を見たところです。構造をつないでいる金属のパイプに、よい感じの苔が育ちはじめている。

こうやって建物のすぐ近くに植物を繁茂させるためには、基礎周りの土の厚みをしっかりとり、土壌を改善したり、水はけや建築素材そのものから流れ出る化学物質に配慮したりと、通常の設計以上のたくさんのケアがなされているはずです。

この美しい美術館がこうやって年月を経て土地に馴染むためには、たくさんの人たちが知恵をしぼり、手間をかけているのだと実感しました。

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When you approach to this museum from South East residential area, you would notice little flowers blooming on the both side of footpath.  They look like weeds – but if you pay attention, they are carefully chosen little gems, such as light purple geraniums.

Then just before the entrance door, there is a subtle detail of concrete floor with little brown lines – it seems wire wools were mixed together with Terrazzo materials into concrete when the bridge was made, then after years the wire are rust.  This texture is harmonious with the Copper Beech tree behind of the bridge, as well as to the impression I gained from the meadow around the building.

The last picture is taken from inside of the building, looking down Bamboo bush and moss-covered metal tube between structures.  To achieve this green growth, the project team had to take care of many unusual matters – thick and rich soil around the building foundation, drainage plan and not to pollute the soil by chemical substance washed away from the architectural materials…

Yes, this harmonious museum was made with great care for the passion and has been taken care by people to succeed the passion.  Great job.

レンゾ・ピアノの建築で 2005年に完成したこの美術館「Zentrum Paul Klee」は、どうやらほんとうに土地の中に埋もれようとしているようです。半分は地下にある展示室は、自然光がたっぷり入る気持ちの良い大空間でした。

こんな風に、建築家のコンセプトがしっかりと受け継がれ、丁寧に植物がメンテナンスされている様子を見るのは、素晴らしい。建築は、出来上がった時に完成するのではなく、時間をかけてその土地と馴染み、使う人から愛されてはじめてその神髄が理解されるのだなと思いました。

コンセプトがはっきりわかる建築模型。ほかに、スケッチや構造体のディテール模型、壁のおさまりの部分試作など、さまざまなプロセスも展示されています。

完成から7年が経ち、勝手に育つ木々もあるだろうけれど、雑草を刈ったりふさわしい草木を選び残すといった丁寧なメンテナンスがされているのは明らかです。

ウェーブの山部分は吹き抜けの大空間で、展示室への入り口とショップ、カフェなどがあります。端の「小さい山」の下は図書室とセルフサービスのカフェ。日本語の書籍もたくさん集められた、充実のコレクションと遠くひらけた眺めで、「丸一日でも、2日間でも楽しめそう、、」と思う場所。

うしろ髪を引かれながら、バス停のある側の出口(上の模型で左はし)を出て振り返った写真です。何年か後にふたたび訪れたら、きっともっと土地と一体になっているのだろうな。

I visited Zentrum Paul Klee in Bern – the museum has been kept really well according to the Renzo Piano’s concept, which is harmoniously submerging into its surroundings.  The architecture was completed in 2005.  7 years on is nicer than my first visit shortly after the opening.  I think the true success of architecture need to be judged after the building is blended into the environment, accepted by the local people and running organization.

This museum is a gem for me – it is receiving sincere and sympathetic maintenance by gardeners, who chosen what to keep between structure and make the building more blended in to the ground.