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旅・travel

瀬戸内の穏やかな気候で育ちスキーを体験することなく今に至ったので、ほんものの樹氷を見た事がありませんでした。リヒテンシュタインを出発する朝、外に出ると冬木立に氷の花が咲いていた。バスと列車を乗り継いでスイス南部へ旅する途中、窓に張り付いて景色を眺めました。


もともと美しい自然のものだけでなく、凍った霧は人工物もきれいに変えている。日が射すまでのはかない美しさだけれど。

霧にけむる湖畔のBregenz駅に降り立つと、行く手に目指す建築が見えました。伝統的な石やレンガの町並みの中にはめ込まれた、不思議な透光性を持つ箱。曇り空とガラスの境界があいまいにかすむ。近づくと、中に構造を隠し持つ皮膜がだんだんと見えてきます。ピーター・ズントーの建築を訪ねるのはこのKunsthausが初めてです。


晴れ間が見えたり、視点の角度を変えると、ガラスが空を映し立体感を持ち、中にある躯体の存在が見えなくなります。夏の日差しや晴れた日なら、遠景でも光を反射してすっきりと矩形なのだろうと想像する。


建物の中に入ると、内側からはもっとはっきり「光の箱」でした。地上階は壁面からの光をたっぷり受けた天井の高い空間、2階と4階は天井ガラスの上にある照明と壁面からの外光の両方をガラスで受けて展示場に光を拡散する空間。3階だけは、ほぼすべて人工的な光で制御された空間。


各階と階段を行ったり来たりして、日暮れの頃の外光と照明のつくりだす変化の中に身を置いてみた。だんだんと外光が弱まり、宵の青い色に変わっていく。そして皮膜の中、フロアの下あたりに埋め込まれたスポットからの光がはっきりと影を作り始める。この40分ぐらいが、この建築をいちばん楽しめる時間だったのではないかと思います。ちょうどやっていたベルギーのアーティスト、ヤン・ファーブルの展示はわたしは好きではなかったけれど、2時間のあいだ建物のなかをゆっくりと歩きまわり、ベンチに腰掛け、階段を上がったり降りたりして飽きることはありませんでした。室内の光は決して展示を邪魔するような光ではなく、ほんわかやんわりと床に届く光。微妙なグラデーションを見せる天井の存在はわたしにとっては圧倒的でした。


日が暮れると、外から見た建築の表情が全く違っていました。建築を夜の闇に浮かび上がらせているのは演出された光ではなく、展示品を照らす照明が外に漏れているもの。昼間に外光を拡散して室内に導いていた皮膜が、今度は中の出来ごとをやんわりと外に伝える。

もっともっと眺めていたかったけれど、気温がマイナス5度だったので、写真を撮る手が凍える前に帰路につきました。

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スイスとオーストリアの国境にある小国リヒテンシュタインで、国立大学の建築科の学生にオランダやフランスからの交換留学生を交えた一週間のワークショップをやっています。テーマは「Light Made Tactile」。空間の中で光を感じ、増幅させ、そこで発見した「効果」を他の人と分かち合うための装置を作る課題。このKunsthaus Bregenzの訪問は、このテーマの延長でもあります。

鉄。

今回の帰国で撮った写真を整理していると、たくさんの「鉄」が写っていました。

風雪を経てざらざらした表面、その凹凸からまだらになった色合い。風化しても、ちゃんとその役目を果たしている鉄たち。英語で言う「patina」ですね。隣り合った木のなめらかで優しい歳の取りかたに、鉄のパティーナがより引き立てられている。


ここまでの写真は法隆寺で撮ったもの。

法隆寺は再発見でした。あんな美しいプロポーションで地震にも耐える構造の建築が1400年も前に建てられ、雨風を受けて装飾が落ちた「素」のものが迫力を持って目の前に存在する、その不思議さ。困難な、手のかかる仕事をたくさんの職人が信念を持ってやりとげた結果なのだな、、、と思いを馳せました。

行きにくい場所にあるからか空いていて、修学旅行バスの中学生が通り過ぎると、ゆったりした時間を堪能しました。こんな不便な場所にあるから、いにしえそのままの広い空を体験できたのだ、、、と感謝したり。

でも、まわりの街はほんとうに殺風景です。国道沿いにはパチンコ店、乱雑な看板、さびついた広告ベンチのあるバスターミナル、、、。どうしてこんな素晴らしい遺産のまわりが、ここまで荒れ果ててしまうのだろう。地元の人は法隆寺を観光資源とは思っているけど、周りの印象が良ければ旅人は「リターン」する、という世界の観光地の法則を知らないようです。誰か、教えてあげてください!

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「パティーナ」の話をしていたのでした。どうも、今回の旅行以来、センスのない日本の地方開発と殺風景な観光地について、つい愚痴ってしまう、、、。

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もう一つ見た「鉄」は不思議なバランスの茶釜です。


歴史保存街区のある奈良県橿原市の今井町で、酒造家を見学した時に二階の座敷に置かれていたものです。箱書きの歴代の持ち主に、織田信長と豊臣秀吉の名前があるのだけど、、、。あながち嘘とも思えないこの存在感。

底が広いのは熱を受ける効率が良く、湯が冷めにくいよう口は狭く。浮かび上がった文字は「内」と「火」の組み合わされたものに見えます。この茶釜が炉に掛けられ、しゅんしゅんと音を立てているところを想像してみる。炭のにおいが漂い、ぴりっとした空気に湯気の湿り気がたちこめる室内。

茶の湯の世界はあまりに深そうでなかなか立ち入れないのですが、美しいと思った道具を使ってみたくてその扉を開く、という入り口もあるのかもしれません。

天川村で出会って嬉しかったのは、夜空に広がる天の川と、森と、神社に必ずあったたくさんの巨大な木でした。

川合地区にある天之水分神社のご神体と思われる、直径が2メートルを越えていた杉の巨木。


こういう圧倒的な存在の前に立つと、畏敬の念をいだくと同時に、触れてみたい思いに駆られます。これは神聖さを穢す所作なのかもしれない、、、とびくびくしながらも、手のひらを当てたり背中を寄せたりしてみる。触れると対話が出来るかというと、そういう訳でもないのですが。

そんな瞬間を写真に収めたのだけど、、、巨木さん、怒ってないですよね?

奈良県吉野郡天川町にある天河弁財天という場所に行ったのは、田口ランディの『水の巡礼』というエッセイに触発され、その中にあった写真家の森豊による湿り気が感じられるような森の写真を見て、こんな場所に身を置いてみたい、、、と思ったのがきっかけでした。

2泊して天の川を見上げ、聖域とされる周りの山を歩きました。森には至る所に巨大な木がそそり立ち、水気をたくさん含んだ空気に森全体が包まれている感じ。下草や苔、きのこもたっぷりと水を含んでぷるぷるしていました。澄み切った水の流れに逆らい、群れになって登るマスの腹が、日に照らされてキラキラ光っていました。


なのに。

なぜ、そんな清流をコンクリートでせき止めて、ダムを造らないといけないの?近くに工業地帯があるでもない山深い清流にダムを造り、エメラルド色の水が流れる川床へ向けて「放水時の避難路」としてコンクリートで固められた傾斜路が何本もつくられ、放水の情報をアナウンスするために設置された巨大スピーカーからは1日に2度、ばりばりに割れた音で役場からのお知らせが流れる。

どうして、神聖な雰囲気の漂うあの山に、コンクリートの土台を据え、四角柱を組み合わせた鳥居ともゲートともつかない赤い巨大なモニュメントを建てる必要がある?

視覚的にも触っても異質で無神経な、木を真似たコンクリートの手すりや階段をあの森に持ち込もうと誰が決めたのだろうか?


天河弁財天は静謐な場所だったけれど、そこにたどり着くまでに見た脈絡ない開発に怒りを覚え、すっかり疲れていました。掃き清められた境内を一歩出ると汚れたコンクリートの壁が目に痛く、痩せた植栽と埃っぽい駐車場に囲まれた「天の川温泉」に着いても、湯につかる気も失せるほどぐったりしていたのでした。

アレックス・カーがその著書『犬と鬼』で告発している、日本の景観を破壊した開発の構造、コンクリートで地面を覆うことで成り立つ経済について、わたしはこの天川村で体に刻み込まれるように理解しました。それは、開発を醜いものとしてはっきり映し出すほど、天川の森が美しい水に満ちた場所だったからだと思います。

良く晴れた朝、吉野杉の谷間に清らかなたたずまいの農家がある!と思って近寄ると、家の前は道路拡張工事の最前線でした。


ここは洞川温泉に向かう21号線の峠の入り口で、この道はすでに対向車線になっているし、バスも対向車と問題なくすれ違っているのに、木を倒して道路を拡張することは本当に必要なのだろうか?

水の森に入りそして出て来るまでは、こんな風景にここまでの違和感を持ってはいなかったと思います。

でも、今でははっきりと区別できる。

手入れの行き届いた農家のたたずまいは「森」に近く、日本の文化と美意識から生まれている。けれど、コンクリート壁と排水の穴は機能だけを考えて配置され、文化の洗練からは遠く離れた存在だと思う。造成したての今はある種の清らかさがあるけれど、年月が経つと穴の下は水垂れで汚れ、壁全体が赤茶けたカビのような色になって風景を浸食していく。

帰路のバスの窓から、コンクリート壁がすすけて赤黒くなり吉野杉の山腹を汚している様子をあちこちで見ました。それがどこにでもある風景で、わたしたちがあまりに見慣れていること、それが一番の問題なのだと森に気づかせてもらった帰り道でした。

先日、帰国しました。仕事で東京と関西の間をよく往復するのですが、その中間の名古屋から内陸に足を延ばし、時間が許せば寄りたい場所があります。

多治見のギャルリ百草。今回は秋の夕暮れを楽しみました。帰路は虫の合唱に送られて。


作陶家の安藤雅信さんの仕事を『茶の箱』という本で見つけ、カフェのことを雑誌で読んで行ってみたのが昨年の夏。2度目の訪問は「茶の箱展」第3回のオープニングで、作家さんたちの集まる様子を垣間みました。

今回はとくに安藤明子さんの作る「サロン」 というスカートが目当てでした。最初の訪問でふと買ったこのサロンが夏に活躍したので、冬用が欲しくなって。重ねて着るやり方をお店の人に教えてもらい、じっくりと時間をかけて選びました。ここはスタッフの人達がいつも素晴らしいのです。

サロンを着ると、振る舞いや歩き方が少しゆったり女らしくなる気がします。着物のような「裾さばき」が必要になるから。この秋冬は短めのブーツとあわせて重ね着を楽しもうと思っています。

一週間ほど、「グランドプリンスホテル赤坂」に滞在しました。お気に入りの東京の宿です。


どの部屋も「角部屋」で窓が大きく眺めが良い。部屋の照明を落として夜景を楽しめます。


飾りすぎない、素っ気ないインテリアも好み。サーリネンの椅子が似合います。廊下のドアを開けるとまず廊下があるのも好き。この距離があるから、廊下の音がベッドまで届かない。


その廊下にはバスルームの入り口、クローゼットと並んで冷蔵庫やミニバーもある。片面は大きな鏡。必要だれど雑多なものが寝室からは見えないのは気持ちよい。どのタイプの部屋に泊まってもプランに感心します。

洗面台とバスルームも、質実剛健。たっぷり物を置けるスペースがあり、鏡に近づくことが出来て、しっかりした照明があること。これが洗面まわりの3大条件だと思うのだけど、ここはさらに、使用後に「こざっぱり」保てる素材で、気持ちよいのです。デザインホテルにありがちな「水しぶきが散ったらもう台なし」という洗面台が嫌いなので。



エレベーターホールにある電話台、これもサーリネンかな?時代が一巡して、レトロと言うには「今」にしっくり落ち着く感じ。

この丹下健三設計の新館は1983年にオープンした建物で、ウィキペディアによると「大規模改修が行なわれず老朽化が進んでいる。地域再開発も含めて検討課題とされている。」とあるけど、、、再開発なんてしないで、この親しみやすい「赤プリ」はこのまま残して欲しいです。

ホテルマン&ウーマンが気持ちよいのもここの美点。他のプリンスホテルのようにチェックアウトで並ぶことがなく、出かける時もフロントに着くまでに誰かが来て鍵を預かってくれます。ある時は、ここのセーフティーボックスにパスポートや通帳、外貨なんかを一切合切置き忘れたのだけど(迷惑な客ですね、、)、丁寧な対応で次の宿に郵送してくれました。

「ノー・クリーニング券」も気に入っています。「今日は掃除とタオル交換は必要ないです」という紙を残しておくと、ゴミ箱だけは空にしてくれ、「館内で使える1,000円券」というのを渡されます。宿泊費の割引ですね。部屋にたっぷり置いてあるタオルを毎日替えてもらわなくてもぜんぜん平気だし、シーツも毎日替える必要ないもの。いつも「ホテルって、環境に悪い、、」と思うので、少し気が軽くなる。で、この券を持って朝食を食べに行くのです。高級レストランか料亭しか選べない朝食がとっても高いのだけが不満で、いつも「素泊まり」なので。

どんなに格好よく見せかけを作っても、ニセモノに囲まれた空間では心からくつろげない、、、という体験をしました。


先週、出張で行ったイタリアの都市パドヴァで、スペインの「デザイン・ホテル」AC HotelsチェーンのひとつAC Padovaに泊まった時のこと。

古都の城壁の外、工業地帯の入り口、という立地だけど、2重窓で静かだし、清潔。サービスは節度があって気持ちよく、モダンだけど大きすぎないサイズ。かなり気に入りそうなホテルなのに、、、惜しいなぁ。


レセプション周りは、さすがにちゃんとしてました。シックで快適。色使いも照明も、質感もよい感じ。でも、客室が。


最初の印象は悪くなかった。床やカーテンの色合いは落ち着いて、照明もしっとり、収納もたくさんある。掛かってるコルビジェの教会の写真もいい感じ。でも椅子が「なんちゃってイームズ」だと気づき、あらら、、と思って見回すと、偽物だらけだったのです。レセプションの前にあったソファはデンマークのラムハルツだったけど、客室にあるのはそれを真似て作った稚拙なソファ。脚の金物はスプレー塗装だし。極めつけはウォールナットに似せた木目がプリントされているビニール張りの床。まあねぇ、こういう場所では、ハイヒールの跡が残る床材を使いたくないのは分かるけど、、。

バスタブは大きく立派に見えるのに、プラスティック。これは、中に入るとパカパカ音がするし、底はふわふわするし「ホテルで入浴」という楽しみの時間を台無しにしてくれるよなぁ、、と思う。洗面台は、見栄えは良いガラス板だけど、これ、メタルの土台との接着部分をキレイに紫外線溶着しないと、ボンドみたいなのが透けて見えるのはかっこ悪いです。こんな掃除に手のかかる素材を使うなら、それくらいの気は遣って欲しいと思う。くぼみの大きさが微妙で水は飛び散り、裏をつつーっと水が流れたりするので、翌朝にはかなり汚れた印象になってしまう。しかも、天板に傾斜があって、置いてあったゴルフボール型(なぜ!?)の石けんが濡れた軌跡を描きながら転がるのが、ぁあ、うっとうしい!


なぜ、ニセモノだとくつろげないか。

気持ちの良いホテルに泊まる、というのはちょっとした非日常の、ご褒美のようなものだと思うのです。毎日働いてがんばってるし、たまには掃除とかベッドメイキングのことを考えなくてもいい、誰かが朝食を作ってくれる場所でのびのびとくつろぎたい。なのに、そんな場所でニセモノに出会うと「ここに泊まる客にはね、所詮これくらいでいいんですよ、たいして高い料金を払っている訳でもないんだから、表面だけかっこう良くしておいたら」という、隠れたメッセージのようなものが見えてしまう。「これくらいでいいだろう」という気持ちで用意された場所では、人は大事に扱われているとは感じられない。

イームズの本物が予算からして高すぎたら、なんちゃってイームズを買わないで、同じ値段でも誰かがもっと誠意を持って作った別の家具が見つかるはず。ばかみたいに大きなバスタブを入れなくても、心地の良い浴室はいくらでも考えられる。「あなたの快適な今夜ために、予算はそんなにかけていないけど、誠意のあるものたちでこの部屋を用意しました」という場所は、たしかにあるし、そこはわたしをくつろいだ幸せな気分にしてくれる。と、そう思うのです。手作りのジャムやお菓子が置かれている、自分でお茶をいれて飲めるような小さなB&Bなんかは、ニセモノの置かれた「デザインホテル」よりはよっぽど快適に過ごせる。それは、ゲストとしてもてなされている、そのホスピタリティーをしっかり受け取れるからですよね。

この「真のホスピタリティー」はHPやホテル・レビューでは分からないものだなあ、と思う。今回はがっくりしたけど、朝食はまあまあ良かったし(まあまあ、ね)、レセプションも感じが良くてミラノで普段泊まるホテルに比べればよっぽど快適だったので、AC Milanoには、今後泊まるかもしれない。ネガティブ・チョイスなので「楽しもう」というスイッチはオフにして。このあたりの、宿泊にかける費用と結果としての心地よさのバランスって、ほんと難しいです。

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I realise that there are a lots of visitors to this blog from abroad. So, I write in English as well today, because it is not easy to get message of this post by photos only.

I stayed in a hotel in Padova, named AC Padova, one of AC hotels run by a Spanish company.

OK, I have to admit that the reception area is good, chic and nice texture of materials and colour. People are professional, nice and helpful. Breakfast was not bad, either.

But once you step into your guest room, then you find items in the room are all copy or fake or substitute – from ‘inspired’ Eames chair to Walnut printed vinyl floor and big plastic bathtub. I could not be really happy being in this room, as I received subtle message of management that says ‘you are not paying huge amount of money anyway, so forge Design Hotel is suitable for you’. This message damages impression of whole experience, leave scrach in your mind and you are not entirely comfortable there. You want to go home, being surrounded by not expensive, but honest things.


「レトロ・ロンド」のあったOudenaardeという街で泊まった「Steenhuyse」は、街の中心の広場に面した築500年の建物の内部をモダンに改装したゲストハウス。


デンマーク人とベルギー人の夫婦が1年半をかけて改装工事をした話を聞く事ができて、興味深かったです。歴史的な建物なので外観を変えるのはもってのほか、2重窓にすることさえ許可が降りなかったのだとか。客室はフィリプ・スタルク、レセプションやダイニングはほとんどがデンマークのクラシック・モダンでまとめてあって、外観との対比がとても素敵なゲストハウスでした。


朝食にはたくさんの種類のパンやチーズ、ベルギーならではのワッフルやチョコレートまで並び、卵を料理してくれ、たっぷりな量のコーヒーや紅茶が運ばれる。 なかなか贅沢でゆったりした朝の時間を過ごした。朝食の質は、宿の重要なポイントですね。


でも、ミニマムすぎる客室はちょっと使いづらかった。トイレのドアがないのは、やはりあんまり気持ちのいいものではないなぁ。脇にちょっと壁があるだけ、というのは。日本人だからでしょうか?カップルで泊まっても、積極的に見せたくない場面はあるし、音も気になりますよね?

部屋の真ん中にどどーんとあるスタルクのバスタブは、大きすぎ。お湯を溜めても溜めても、水位が上がらない。こんなにたくさん水を使うの、もったいない、、、とつい思ってしまう。

洗面台の周りのテーブル面が狭いのも使い勝手が悪い。歯ブラシだけじゃなく、いろいろ置きたいですよね、洗面台のまわりには。こんなに空間があるんなら、見栄えよく使いやすくいくらでも出来るのに、、、とついついスケッチブックとメジャーを出してスタディーしそうでした。

インテリアの趣味やもてなしの質も高かったけれど、こういう雰囲気を保ちつつethicalなホテル経営をするのは、とても難しいことなんだなぁ、と思った。夜、宿に戻って煌々と明かりの灯るリビングやダイニングに入って思ったのは、この華やかさを残しつつ電気消費量を下げるには、いろいろとアイデアが要るなぁ、ということ。でも、こんなに明るくしているのは、客がこれを望んでいるとホテルの人が思っているから? 結局は、泊まる客の側の意識の変化しか、ホテルを変えるものはないのかもしれません。

ホテルの石けんって、回収されてリサイクルされたりするんでしょうか?どなたかそういう事情、知ってます? 「タオルはまだ替えなくてもいいですよ」とスマートに客がサインを送れるような、そんなユニバーサルな作法はないものかしら、、、。

車に古い自転車を積んでフェリーでドーバー海峡を渡り、フランスを越えてベルギーのゲントの近く、Oudenaardeという街であった「レトロ・ロンド」に参加して35キロ走りました。「ツアー・オブ・フランダース」という歴史のある自転車レースのコースの一部をレトロ自転車ファンが走るというイベントで、今年で2年目の開催。


まずはGentでビールを一杯。右はチェリービールです。わたしはこの甘いビールが大好き。今回の自転車はこれ。アルミの八角柱フレームで作られた、カミナージョンというメーカーの自転車です。


20年以上古い自転車でそれに併せた服装で参加、というのがルールなので、レーシング自転車の人は古いジャージ、配達用自転車にはコールテンのズボンに帽子とか着てます。わたしは1941年フランス製の「ちょっとそこまでお買い物」用の自転車なので、ベレー帽と白いソックスで、ちょっとリセっぽく(この際、トシは忘れて)。


オーガナイザーもレトロな服装で。左からお巡りさん、メカニック、司会のおじさん、町長夫人、町長、牧師さん。


150人の大集団でスタート。街の中心部を2周ほど走り、郊外に出るとすぐにこんな風景に。牛や馬があちこちにいて、休憩場の農家では目の前をニワトリが走り回っている。コースの途中では飲み物(ビールも!)や果物、アイスクリームにケーキなどがふるまわれ、道ゆく人から声援がかかる。街中だけでなく幹線道路にもサイクル・レーンがあるし、イギリスよりも快適。車もかならず自転車を優先してくれます。自転車カルチャーの歴史の長い国で初めてサイクリングしたけれど、ゆったりしていて良いものでした。

石油が枯渇して今みたいに車を運転できなくなる100年後、工業も衰退して新しい製品が出回らなくなったら、みんなこんな風にして古き良き時代の自転車を修理して田園を走るのが世界的なレジャーになるのかな、、なんてふと思ったり。


きつい坂道のある65キロのコースを走り終えた人たち。イギリスからは14名参加、その他オランダやドイツからもレトロ自転車とサイクリストが集まっていました。


走り終えて、またビール。うーん、美味しい。でもこれ、アルコール度が11%もあるビールなのです。危ない、あぶない、、。