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持続可能性・sustainable

なんと、このブログに以前にポストを載せてから2年以上が経っていました!

twitterでつぶやき始めると140文字以上を書くのが次第におっくうになり、そののちFBで写真をたくさん掲載できるようになるとこっちが便利!と乗り換え。まとまった文章を書かなくなるのはわたしの日本人らしさの衰退なので、ここで気持ちを新ため、レポートを再開します。

この印刷物は、2008年の4月(ほぼ9年前!)にも紹介した、もう10年以上配、毎週配達してもらっているRiverfordの有機野菜の箱に入って届く、生産地からのニュースです。

riverford news

執筆者のGuy Watson氏は、今ではずいぶん大きな産業に育った有機野菜デリバリーの草分けです。1993年に Riverford を始め、共労する有機農園を少しずつ増やし、フランスやスペインにも農地を広げて活動を続けています。このごろはBBCのラジオ番組で食の安全について話すほどの有名人なのですが、今もこうやって消費者のためにニュースを書き続けています。

ニュースでは、雪が降って作業できないくらい農地がぬかるんだり、ぜんぜん雨が降らなくて次の季節の水を心配したり、ある種類の野菜が思わぬ大収穫で売りさばくのに困ったり、という現地の出来事がレポートされ、さらにオーガニック野菜を取り巻く社会の変化、まだ続く合成肥料や化学薬品での害虫駆除が大地にどんな影響を地域に与えるか、どんな新技術が有機農園の経営を助けるのか、という社会的なことも伝えられます。

同じくらいの金額を支払うなら、見た目とコストパフォーマンスで商品を選んでいる大手のスーパーよりも、地域の保全を考えながら体にも良い野菜を生産する人たちから直接買い物をしたい。そう思って始めたこのデリバリーは、野菜の味がものすごく良い、という最大のメリットと、意識的な消費で地域を助けるというポイントに付け加え、毎日の消費がわたしたちを取り巻くグローバルな環境と直接つながっていることを思い出させてくれる、大切なメディアなのです。

ニュースレターは RiverfordのHPで読めるアーカイブにもなっているのですが、土だらけの野菜と一緒に届けられる、汚れてよれっとしているこの印刷物(もちろん堆肥OKの有機インク)が一番、現場の雰囲気が伝わって土の近くにいる感触をくれます。

Ooops it was more than 2 years ago when I last posted an article here!

Twitter made me not to write more than 140 letters, then Face Book made me even lazy, as numbers of pictures replaced text or comments.  To prevent me forgetting my mother tongue Japanese, I start to write again!

The image above is newsletters delivered with vegetable box from Riverford – I posted once about their veg in 2008 ( 9 years ago! ).

The author of these news is Guy Watson, who has started this venture of organic veg box in 1993.  This organic veg box delivery has grown enormously since, and we hear his voice on BBC radio 4 sometime – but still he keeps writing what is happening at the farming front to his consumers.

We read about how snow make we soil and affect efficiency of cropping or farmers are worrying next season if we have little rain.  Sometime, we learn how farmers struggle to sell when they have unexpectedly good harvest of some vegetable.  Adding to those everyday matter, Guy tells us about social shift around organic issue and how still huge company dominates chemical farming reality.  It is amazing to know some latest technology, such as GPS improve small farmer’s efficiency.

I decided to use Riverford because I want to pay same amount of money to smaller and ethical farmers rather than the gigantic supermarkets.  The largest pleasure is of course the taste of vegetable – and it became an important media for me to realise our consumption is directly related to our global environment.

You can read Guy’s letter in the archive – but for me, this mud dirty wrinkled paper delivers the best feeling that my thought is sometime near the earth.

震災から2年が経ちました。
世界は3.11を忘れたか、、?わたしは、まだ世界は日本を見ていると思います。ある豊かな文化が津波に流された記憶は、技術が発達しても命や財産を守りきれない自然災害への危惧を残し、フクシマが未だにそのままであることに、高度に発達した経済社会のかかえる「病理」のようなものを見ていると思う。

フクシマの現実を目の当たりにした世界の各国では脱原発の動きがはっきりと進んでいるのに、日本のエネルギー政策がまだ原発を走らせつづけようとしている事実と、それを阻止できない賢いはずの国民。「いつか、開発が追いつくはずだった」核廃棄物の処理の目処がいまだに立っていないことを無理やり意識の外に置いて、決断を先送りするのは、そろそろ止めるべきなのではないか。

経済成長していた時期の日本には、巨大なコンクリートの塊に放射性物質を閉じ込めてその中で発電をしよう、石油に頼らないエネルギー源が必要 だ、という論理が普通だったと思います。反対する人は、原爆の被爆地である広島でさえマイノリティーだったと思う。核廃棄物をどうするのか決まっていないけど、ともかくしばらく眠らせておけば、いつか技術が解決するだろう。そんな楽観が経済をもっと成長させ、発電所は増え、製造業も発展して会社はのきなみ大きくなり、わたしたちの父母の世代の多くはその労働をたたえられ、たっぷりとした年金でリッチな老後を暮らしています。

でも、時代はすっかり変わってしまった。核廃棄物の処理方法は見つからず、物を作り続け売り続ける経済行為がどんなに地球の資源を枯渇させているかが明らかになり、今は限りのある資源をどれだけ存続させ、次世代に残せるかが問われる時代になっている。生活の根本を見直す必要があるのではないか?価値観の転換ぐらい大きな、意識のシフトが必要なのでは??そんな時に3.11とフクシマが起こったのです。

no genpatsu昨年7月の最後の金曜日に、わたしは首相官邸前の反原発デモに参加しました。集まっていた人たちは、想像していた「デモを煽動する左翼の活動家」みたいな 人はほんとうに少数派で、多くはオトナで知的でした。深く考えずに今まで放ってきたことが間違っていた、その事に気付いた人たちが反省の気持ちを抱え、 今、この時点でどうにかしなければと思って集まっている、、、そういう印象を強く受けました。

この抗議行動に参加して、日本も変わっていくのかも、、、と希望を持ったのです。こうやって、変えなければと思っている人たちが存在する。職場を少し早く出て、地下鉄口が閉鎖されているからひとつ手前で降り、暑い中汗をかきながら歩いて、官邸にとどくよう声を上げたり無言でじっとプラカードを掲げていたり。

震災の日を翌日にひかえた10日、「金曜日の首相官邸前抗議」を主催している首都圏反原発連合が呼びかけた反原発の集まりに、この毎日新聞の記事では4万人が集まった、となっていますが、日比谷公園屋外音楽堂でのこの写真を見ると規模はもっともっと大きかったと思う。

わたしは遠くに居て、もどかしく見ているだけで何も力にならないので、こうやって静かに抗議する人たちの勇気、間違いに気付いてそれを修正したいという願いを、多くの若い人たちにも知ってもらいたいと思って、ここに書き残します。

デザイン業界に生きていると、ものを作って売り続けることで会社を存続させよう、その会社で働く人、製造の一端を担う下請けの人たちの生活も守りたいと踏ん張っている経営者たちの奮闘に、毎回出会うことになります。そんなクライアントたちの願いと、それとは反対なベクトルを持つ「次世代につなげるための社会」への修正を、どうやっったら並走させられるのか。しかもそこに、自分の職能であるデザインを使うことで何かポジティブな変化を起こす可能性はあるのか?

わたしはまだ、なんの答えも持たずに日々迷走している。それが今の正直な気持ちです。

このポストは今からほぼ8年前、2010年の11月に書きました。2018年7月に出版された『MUJIが生まれる「思考」と「言葉」』という書籍で良品計画の金井政明さんが紹介してくださったので、しばらくトップに置きたいと思います。

こうやって読んでくださる方、紹介してくださる方がいるのが嬉しく、しばらくぶりにまた書こうと思います。

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ふと目にしたモノや会話から『そうか、時代の変わり目に立っているんだなぁ』と思う事が、最近よくあります。

環境資源の限界が広く知られるようになり、今までのように残りを気にせず使うような産業や生産、消費のありかたを続けるのは無理があると、多くの人が考え始めた。そして、人は限られた資源をどう使って次の世代に残すか、今までとは違うスピードで進む産業とどう共存し、何を選び取って生きるかを考える場所に立っている、、、少なくとも、たくさんの人がその事に気付き始めていると思うのです。

それから、スーパーの買い付けなどに象徴される「買いたたき」による低価格競争。英国のミルク産業でも起こっていることですが、設備に投資をして効率良く大量に商品を送り出せる会社だけが生き残り、効率以外の価値を守ろうとしている良心的な会社は淘汰されてしまうような現状。これは先に挙げた環境への配慮とは逆行する、大量にエネルギーを使うことになる事業形態が生き残るという、不本意な事態を引き起こしています。

そんな矛盾も起こっているいろいろな流れの中で、岐路に立っている「今」をよく現していると思うのがマッチです。

わたしはスタジオでも家でもお香を焚くし、自宅での夕飯はキャンドルの灯りで食べるのでマッチは日常の必需品です。そのマッチの、頭の部分が小さくなっている?と思い始めたのは2年ぐらい前だったと思う。それが、あっと言う間にどんどん小さくなり、最近のはこんな感じです。

比較すると分かりやすい。左は15年ぐらい前のマッチ。真ん中が4年前ぐらい。右がごく最近のものです。

この変化に、考えさせられました。

低価格競争が広がり、今まではあまり考えずに使っていた頭薬の原料すら、切りつめないと原価割れを起こすようなことが現場で起こっているのではないか。買い付ける側が値切りに値切った結果、製造元で「これでは儲けが少ないから、この素材を少なめに付けてみる?」ということになり、試作したらこれでもちゃんと火が点いた。そうやって低価格を実現し取引を勝ち取った会社を見習い、他社も頭を小さくしていく。そしてこの頭が今のスタンダードになったのかもしれない。

使い比べてみると、頭薬が小さいぶん発火の炎が短いので、気をつけて柄の部分に火を移さないといけないけれど、すぐに慣れて不便は感じない。そうか、今までは余分な材料を炎にして燃やしていたのか、、、と、マッチが発明されて以来の長い年月のことを考えてしまうほどです。そして、この小さな頭のマッチがこれからの標準になって、もう大きな頭のマッチを見ることはないのだろうな、これからはそんな社会に生きていくのだろうな、と。

面白いのは、この変化があまりに短期間に起こったので、今でもマッチを描こうとすると、従来の大きな頭の絵になること。下の写真は、この夏にベルギーのスーパーで買った、まさにそんな変化のまっただ中にあるマッチ箱です。

将来の子供たちは、小さな頭のマッチの絵を描くようになるのでしょうか?わたしたちは、資源を浪費した過去への反省として、大きな頭のマッチを思い出すのでしょうか?

毎日マッチを使う身としては、小さな頭での発火を柄に移す、ちょっとしたコツを身につけたことを嬉しく思ったりしています。冬に、日が暮れたらカーテンを閉めて昼間の熱を逃がさないよう気をつけるとか、厚手の鋳物の鍋で余熱を上手に使って料理するとか、ひと昔前には「節約」として普通に気をつけられていたことは、実は環境にも優しかった。暮らしの小さなディテールや「おばあちゃんの知恵袋」をひとつひとつ思い出し、今まで忙しさの中で走り飛ばしていた小さな「コツ」を身につけ直すのが、今の時代に必要なことではないかと、マッチを見つつ思うのでした。

AXIS誌135号(2008年10月号)の「本づくし」のコーナーに掲載された記事がオンラインで読めるようになりました。

グッド・ニュース』の著者、デヴィッド・スズキはカナダで有名な日系人のTVプレゼンターで「あなたが世界を変える日」として名高い、1992年の環境サミットでスピーチをした「12歳の少女」セバン・カリス-スズキの父でもあります。

17年も前に、12才の少女がこんな発言をして集まった各国政府関係者が深く感銘を受けた。なのに、現在それを政策にまともに反映させているのはドイツと北欧各国とキューバと、インドの中の少数の自治州くらいである、という事実には正直、落胆してしまいます。その17年はそのまま、わたしがロンドンで暮らしてきた時間でもあります。最初は学生で、卒業してからは自分の生活を成り立たせるためにジタバタしていた、、、というのは言い訳で、環境問題を頭の片すみで知りつつ、最近まで積極的には何もしなかったのはいったいどうしてだったんだろう?と自問してみる。やはり、問題があまりに大きくて何から手を付けていいのか分からず、自分の非力さを感じていたのだと思います。

でも、時代は確実に変わってきている。すぐに行動に移さないと手遅れになるとたくさんの人が思っている今、この本が多くの人に「何ができるか」について考えるきっかけを与えてくれることを願わずにいられません。

I read this book, ‘Good News for a Change’, and wrote a book review for AXIS magazine vol. 135, October 2008.  The article is now on-line, so I want to introduce it to my blog readers.  One of the authers David Suzuki is an environmental activist and father of Severn Cullis-Suzuki, who made a famous speech at UN Earth Sammit in 1992.  I learnt a lot from this book, gave me hope on what we can start to do something for the earth and ourselves.

前回紹介したルーオン近郊のマナー・ハウスは、華美すぎないセンスの良さが気に入っている旅行評論家の本がサイトになった「Alastair Sawday’s」で見つけました。

このサイトでは最近はEthical Stay、Ethical Travelという観点で編集がすすんでいて、特に有機農場や地域の食文化に貢献している宿を積極的に紹介しています。

フランス中央部の都市Bloisから南に10キロほど下った平野に点在する農場の一つがゲストハウスとしてそのサイトで紹介され「地域の農場の生産する卵やヨーグルトを味わえるオーガニック料理が楽しめる」 とあったので予約してみました。ここは、なかなか楽しい滞在になりました。車がないと難しいかもしれませんが、GPSを積んでいれば、目立った特徴のない平原の農場でもちゃんとたどり着きます。

ロワール川に沿った平野の一角、畑や林やワイン農場の広がる一帯。古城やサイクリング・ルートなど、観光の拠点としても良い立地。家主のソフィーは英語も堪能で、地図やパンフレットもバイリンガルで用意されています。もと農機具置き場だった小屋が2室のゲストハウスとして改装され、部屋は質素だけれど清潔。そしてなにより、ホストとしてのソフィーがすばらしく、友人宅に招かれたような雰囲気と手料理。猫好きにはたまらない、目つきの据わった「ギャロッパ」がみゃー!と迎えてくれます。

まずは庭でナッツをつまみながら自家製ワインの食前酒を飲み、もう一室に泊まっている客と一緒にリクエストしていた「ノン・ベジタリアン」の季節料理を楽しみました。 ホロホロ鳥と野菜のスパイス蒸し料理。ソフィーが毎年作っている、庭で採れるレモンのピクルスが料理に使われていて、あまりに美味しくてピクルスのレシピを書いてもらったり。

朝食には近所の農園で作られるフレッシュ・クリームやオーガニックの蜂蜜が庭で摘まれたばかりのベリーと一緒に出され、フランスの普通の家庭がふつうに味わってきた食文化に触れ、その素晴らしさをたらふくお腹に詰め込んだのでした。 ふくろうの鳴き声を聴きながら眠りに着き、近所の農園のニワトリの声で目覚める。都市部ではなかなか味わえない、素敵な体験でした。

毎日の生活で使う道具は、それによって自分が啓発されるようなものが理想なのでは?と思うようになりました。使っていて妥協がなく機能的なのはもちろん、道具によって動きが洗練されたり、にっこりできたり、気持ちがあたたかくなったり、さらには道具を通じて新しい価値観を持てたとしたら素晴らしいと思うのです。

ホンダの「insight」に乗り始めて1年と少し経ちますが、このハイブリッド車にわたしはずっと啓発されている感覚があります。


なにしろ燃費が良い。これは、その一点のために技術が投入され独特のハイブリッド仕様が生まれたのだから当然だけれど、以前に運転していたサーブと比べガソリン代が三分の一以下になりました。上手に運転すると、リッター25キロ以上走るのです。渋滞の街中ですらリッター17キロより落ちる事はない。

「上手に運転する」というのは肝心で、街中ではこれが燃費の良さを大きく左右します。急発進しない、無理な加速をしない、出来るだけエンジンブレーキを使う、高速でも110キロ以上は出さない、、、などなど。要するに気の急いた運転をやめ、鷹揚にエレガントに運転すると一番燃費が良いのです。車が割り込んできそうな時、以前はアクセルを踏み込んで車間を詰めていたのを、今では「どうぞー」と入れてあげて、速度を落としたぶんバッテリーをチャージする。

2人乗りのコンパクトさも車高が低いデザインも、必要最小限にきりつめられた付属の機能やインテリアすら、すべて軽量化と空力で燃費を上げるためだと思うと説得力があります。サイドミラーを電動でたためなくても、降りて手で押せばカンタンに閉じるのだし。

無駄なものをそぎ落とし、なるべくガソリンを使わない。どんなチャンスも逃さずバッテリーチャージして、そのアシストで少しでも遠くまで走りたい。けれど、スタイリッシュでいたいし、車を走らせる「楽しみ」も妥協したくない。運転するほど、設計者の意図がはっきり伝わるこの車は、間違いなくわたしのものの考え方に影響を与えています。

環境に悪いのはわかっているけれど、ないと不便な車。この「必要悪」を買い替える時、ポジティブな選択が可能だったし、これを選んだことで「意思ある方向」に一歩、進んだ実感がある。毎日、自分の行動を少しずつ気をつければ、積み重なると資源を節約できる事を1/3に減ったガソリン代で体感しているから。

車ですら、一歩進めることは可能なのだから、毎日の行動のたくさんの場面で、環境に良い選択を選びとることがもっとあるのではないか。さらには、デザイナーとしてそういう意図を持って製造に関わったら、使用者に「出来ることはある」というメッセージを送れるかもしれない。

、、、と、この最後のところを話したくて、insightの良さを説明しはじめると、つい運転してていかに楽しいかということを熱く語ってしまって「安積さん、エンスー?」と言われたことがあるのですが、えっと、自分では違うと思っています。ちょっと違いますよね??

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現在、ロンドンのScience Museumで開催中の「Japan Car」展にそのinsightが展示されています。英国に250人いるこの車のオーナーとして、これはちょっと嬉しいですね。原研哉さんがキュレーションを手がけ、阪茂さんが会場構成をしているこの展示会では小ささや環境に配慮した日本の車が展示され、その思想とユニークなアプローチが紹介されています。こうやって一堂に見渡すと、日本の産業が環境問題に先駆け、これからも世界に貢献できる可能性のようなものが見えて来て、勇気づけられます。ちいさなものへの愛と大きなビジョンが一緒に歩む未来。

このinsightは日本ではほとんど見かけなくなっているようですが、来年に発売される新insightは量産仕様のようだから、価格も落ち着いているのかな?車高はプリウスよりもかなり低いようだし、きっと運転の楽しさも先代insightの思想を引き継いでいることと思います。

『サスティナブルを伝えるデザイン』というタイトルで、東京ミッドタウンのデザインハブにて日本産業デザイン振興会(JIDPO)主催のワークショップを開きました。講師として参加し、企業に勤めるインハウスデザイナーと千葉大学の大学生、留学生をふくむ大学院生の総勢24名と出会い、意見を交わすことでたいへん刺激を受けました。

以下は、大伸社がJIDPOのためにまとめ、design-hugというHPに掲載したワークショップのレポートです。HPの閉鎖を機に、内容をここに転載します。

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『サスティナブルを伝えるデザイン / Design, which delivers sustainable thinking』

プロダクトデザイナーの安積朋子氏を招き、日本産業デザイン振興会(JIDPO)主催のワークショップが開かれた。

今回のワークショップは、海外で活躍するデザイナーに『自国外でデザイン活動をするための考え方』を学ぶという目的のもと、2007年度よりJIDPOインターナショナルリエゾンセンターと千葉大学によるコンソーシアムが行っている。

リエゾンセンターの「クリエイティブ能力開発研究会」の社会人メンバーと学生の混合型ワークショップは、アジア人財資金構想の活動のひとつとして、産学協同の新たな取り組みとして注目されている。

今回は、サスティナブルをテーマに8月20、25、26の3日間、ロンドンに拠点を置いて活躍する安積氏がファシリテートを務めた。
日本産業デザイン振興会:http://www.jidpo.or.jp
アジア人財資金構想:http://www.ajinzai-sc.jp/

デザインにはコミュニケーションを助ける力がある、と安積氏は言う。ハイブリッド車しかり、技術を含んださまざまなデザインによって、我々は環境の変化を体感することができる。世界各国を巡り、ものづくりの現場に携わるうちに「デザイン的にも寿命的にも息の長いモノづくりをすることの必要性」を感じるようになった、と安積氏は語る。消費が先陣を切る時代から、持続を考慮しなくてはいけない時代にすでに突入している。それに伴い、デザイナーの在り方も変化を迫られつつある。これからのデザイナーは、よりリサイクルしやすい素材などの規格選定から提案できるような、プロジェクトのリーダーになっていく必要がある。

「サスティナブルをデザインの力によってどう体感・共感できる形に置き換え、より多くの人に伝えることができるか」をこのワークショップの機会を通じて考えて欲しい、と安積氏は語った。

今回、安積氏がミッドタウンをワークショップの舞台に選んだ理由もそこにあった。東京ミッドタウンは屋上緑化や太陽光に連動したブラインド自動制御、窓際照明の自動調光システム、内装材への竹材採用など、環境に配慮した取り組みが多くなされている。しかし、そのことを認知してミッドタウンを訪れている人は少ないのではないだろうか。

そんなミッドタウンで、来場者がサスティナブルな取り組みを体感できるように施設をデザインすること、それが今回のテーマだ。

ワークショップ一日目は、安積氏から今回の目的についてオリエンテーションが行われた。このワークショップでは参加者がそれぞれグループに分かれて、施設内を自由に使いプレゼンテーションを行う。

カシオ計算機株式会社、キャノン株式会社、コニカミノルタテクノロジーセンター株式会社、セイコーインスツル株式会社、TOTO株式会社、富士ゼロックス株式会社、富士通デザイン株式会社といった企業7社のインハウスデザイナーと、千葉大学のデザイン系学部生、海外からの留学生など総勢24名が参加した。

二日目は、各グループに分かれて安積氏のアドバイスを受けながら基本構想を打合せ。方向性やイメージは固まっているが、何を媒体とするかの選定に難航しているグループが多く見受けられた。

さすが、プロのデザイナーが集まっているグループは意見のまとまりも早く、プロトタイプまで作成してきたところもあった。「普段取り組んでいる企業人としてのデザインから、今回は個人のアイデアが試される場。他メーカーとも交流ができ、良い刺激になる。」とメンバーの一人は話してくれた。

翌日の発表に向けて、参加者たちの打合せは夜まで続いた。それぞれ環境も経験も異なるものづくりのエキスパート達が意見を交わし、どのようなアウトプットが生み出されるか楽しみである。

ワークショップ最終日には、この三日間の取り組みがグループごとにプレゼンテーションされ、フィードバックが行われた。講評会にはミッドタウン関係者も参加し、多方面からの意見や質問があがった。
以下に、そのプレゼンテーションの様子を紹介したい。

【Group1】「サスティナブルな素材を選択する価値」の見える化

「『サスティナブルな素材を選択する価値』の見える化」と題した、竹が随所に使用されているミッドタウンの特徴を活かした提案。成長の早さから、新たなサスティナブル素材として注目されている竹。これをディスプレイに使用しているスペースと、店内で売られている竹製品のつながりを明確にすることで、サスティナブルを可視化しようという試みだ。

すでにある竹のディスプレイとフロアライトを活かし、竹の形をかたどった紙製スタンドに竹の箸やヘラを配置できるよう設計。当初、竹でつくる予定だったスタンドを、紙製のプロトタイプを使ってシミレーションしたことで、ライトの影響や周囲の素材とのバランスを確認することができた。これにより、「竹を使用するよりも紙などの素材を使った方が効果的なのではないか」などの意見があがった。こういったあたりに、ワークショップの妙味があるように思う。

【Group2】サスティナブルな気付きを導くオリジナルグッズの提案

ミッドタウンの新しいオリジナルグッズで、「サスティナブルな気付き」を導こう。前日に、いち早くプロトタイプをつくり上げていたグループからの提案だ。グッズをデザインすることで、ミッドタウンに来場していない人へもサスティナブルな気付きが広まっていけば、との狙いがある。キーとなったのは植物の「種」。

一つ目のプロトタイプはポストカードに種を埋め込み、そのまま庭などに植えられるというもの。育った花の写真をミッドタウンで公開できるようにすることで、参加型の取り組みへの展開も提案された。もう一つは、シャボン玉に種を含み、遠くへ飛ばせるタイプ。実演に悪戦苦闘する一幕もあったが、プロダクトデザイナーならではのユニークな発想と製品構造に注目が集まった。

【Group3】サステナブルなフロア・プランの提案


役立つ情報源のはずなのに、必要な情報をくみ取ることが容易でなく、最終的に捨てられてしまうもの。そんなフロアガイドマップをサスティナブルにデザインしたグループである。

既存のマップは一冊にあらゆるジャンルの情報が掲載されており、必要な情報を選び取ることが容易でないのでは、との意見から、新たなコンセプトとして「リユースできるマップ」「目的ごとに選べるマップ」を提案。厚手のトレーシングペーパーでできたマップをフロアやカテゴリごとに数種類作成し、重ねることで館内の全体図が把握できるように設計。また、固い素材を使うことで使用後は回収ボックスへ返却し、再利用できるようにした。

来場者自ら回収ボックスへ返却し、リユースされている事実を明確に認識することが、この提案の一番サスティナブルなポイントである。自発的な気付きが最も大きな影響力を持つ点をうまく導いていると感じた。

【Group4】捨てないチケット – ミッドタウンの木の葉を使う提案


緑豊かなミッドタウンの大量の落ち葉。サントリー美術館や21_21 DESIGN SIGHTなどのアートギャラリーのチケットやレシート。これら日々廃棄されてしまうものを使って、「『捨てる』から『還す』へ、意識の変化を導こう」との提案があがった。


ミッドタウンの落ち葉に印字し、穴を開けてチケットにしたり、レシートにしたり。来場の記念に持ち帰っても良いし、回収場所を印字すればリサイクルシステ ムもアピールできる。また、持ち帰った落ち葉の種類を調べるなど、自然への関心を引き出すきっかけにもなり得る。チケットをつくるワークショップを開催し て子どもも楽しめる催しに、という提案にはミッドタウン関係者からも注目が集まった。

【Group5】イベント『とりかえっこしよう』の提案


「TORIKAEKO」と題した、お互いの持ち物を想い出と共に交換する参加型イベント。

サスティナブルの意識を浸透させるコミュニケーションデザインの提案だ。物だけでなく相手の想いも受け取ることで、より物への愛着がわき、大切に扱うこと ができる、というもの。イベント会場にコーンを設置し、吹き抜けなどからでもイベントの様子に気付けるようにすることで、更なる参加者の輪を広げようとの 狙いもあった。サスティナブルな新しい何かを作り出すだけではなく、今あるものを大切にすることで持続させていこう、という試みが印象的であった。

【Group6】ミッドタウン・ピクニック+


「ミッドタウンでピクニックをしよう」

都心にありながら緑に恵まれたミッドタウンの環境を活かして、リフレッシュを通じたサスティナブルな気付きが提案された。「人との関わり」や「自然」など複数の要素を含むピクニックと、「ファッション」「食」「ショッピング」などのエンターテイメント性に優れたミッドタウンの共通点を合わせた、コミュニケーションの新しいかたちだ。


ミッドタウンを訪れたら、まず受付でピクニックセットをレンタルし、フードコートで自由に中身をセレクト。トレイをリユースできるのでゴミが削減でき、館内施設を併用できるので活性化につながる。今ある環境を活かして施設同士の相乗効果も期待できる、今後の広がりを感じさせる提案だ。

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ワークショップを終えて、あるデザイナーは「企業の中でもサスティナブルという考え方はすでに浸透しており、開発の際にも考慮はされている。しかし実際の 使用現場に立って、ここまでサスティナブルを中心に置いて取り組んだことはなかったので、良い勉強になった。」と語ってくれた。


安積氏に今回のワークショップを振り返っての感想を尋ねた。

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今回は「共有する」というアクションがとても重要なポイントだったと思います。まず「サスティナブル」という言葉に対して、いろいろな体感の温度差がありますので、これを各自が日頃どのように考え、どう行動しているかを話し合い、それぞれの意識を共有しました。そして、「サスティナブルに対するポジティブなイメージ」をフィールドを通して広く人に伝えるために、どうやったら「感じて」もらえるかを考え、デザイナーという職能をくぐらせクリエイティブに仕上げていきます。

その中で「デザインされたものやスタイルを持った企画は、共有したいサスティナブルな考えをより身近に感じさせるパワーを持っている」とデザイナーが胸を張って認識できたなら、このワークショップの成果が期待できると考えていました。

各グループのプレゼンテーションは、そういった大切な「とっかかり」を参加者で共有できる、洗練の可能性を感じさせるものだったと思います。

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プロジェクトにおけるデザインの位置のひとつに、発信者が伝えようとしていることをサポートし、より伝わりやすく変換の手助けをする、というものがある。そのためにまずは現場に出て、ユーザーと同じ視点に立ってみることがとても重要なのだ。じっくりと時間をかけて土台をつくり上げれば、時を経ても揺るがない確かなものが生まれる。それこそが持続可能性を秘めたものづくりなのではないだろうか。

サスティナブルというテーマを通じて、新たなかたちでものごとを伝える「デザインの可能性」を感じることができたワークショップであった。

(text:Haruka Yanagisawa/photo:Kei Sugimoto)

今年の1月に、スタジオの裏庭にコンポストの場所を作った。「コンポスト」とは、畑作りなどに使う有機堆肥のことです。

フタつきの、逆さまにしたブリキのバケツみたいな容器がコンポスト・ビンです。底板はなくて中のものが直接土に乗っているので、ミミズは底から自由に出入りできる。ここに、キッチンで出る野菜くずや再生紙の卵の箱、段ボールの切れ端、植物の葉を刈ったりしたものをどんどん入れて時々かき混ぜると、バクテリアの働きで分解され、7〜8ヶ月後には栄養たっぷりの土になる。底の右手にあるドアみたいなのを上に引いて、出来た土を底からかき出す仕組み。

これは、画期的です。

なにしろ、ゴミが減った。以前は週に2回はくくって出していた20リットル袋のキッチンのゴミは、なんと4分の1に減った。今では2週間に1回しか出さないので、夏場は臭くなるから容量の小さいものに替えようと思っている。よい土をつくるためには「茶色系」の紙や枯れ葉を生ゴミとほぼ同量混ぜないといけないので、トイレットペーパーやキッチンペーパーの芯もすべてちぎって入れる。コーヒーのかすやお茶の葉、ティーバッグもここへ。郵便物の封筒や梱包材も、漂白のされていないものはここへ。

野菜の洗い方も変わった。せっかく野菜についてくるオーガニックな土が下水に流されるのがもったいないので、にんじんやじゃがいもはまずピーラーで皮を剥いて、土のついた皮をコンポスト行きの紙バッグに移してから、水洗い。

気温の低い冬場はあまり生物分解が進まないので、あっと言う間に「素材」がビンの中に積もり、これだと2台目がすぐに必要になるなあ、、と思っていたら、気温が緩むとビン全体が発酵、分解の熱で温もり、中味がぐんぐん減り始めた。分解が進んで完全に土になる頃には、容量が元の素材の75分の1になるのだそうです。ビンの中は臭くなる事はなく、湿った土の匂いがしている。

そして先日、ようやく土になったこの肥料を使い始めたのです。中庭で育っているトマトとかぼちゃの鉢に、この土を足してみた。 栄養価のほどはまだわからないけど、今まで焼却場まで運ばれて燃やされていたゴミが、こうやって微生物の力を借りるだけで「使える土」になる、自然の循環システムは素晴らしいなぁ、と思う。

わたしのスタジオに来るインターンシップには、スタジオのHPからリンクがあるコンポスト・ガイドを読むように伝える。だって、知らないで野菜を大きいまま放り込んだり、チーズのかけらを入れたりしたら困るのもの。

ある記事に、コンポストの栄養バランスを整えるよい素材のひとつは「髪の毛」とあった。排水管のつまりが心配で、今までも抜け毛は流さないで集めていたので、これをコンポストに入れてみる事にした。こうやって有機肥料に足すなら、薬剤を使ったヘアカラーはもうやらないほうがいいかな、、、。でも、そこまで考えるなんてちょっとマニアック?と我ながら思ったのでした。

野菜を育てている人には、分かってもらえるでしょうか?安全で元気なのを育てたいですものね。写真は鉢植えのプチトマト。夏が終わる前に、赤くなれ〜。

前回のパドヴァのホテルの話を書いていて、思い出した本があります。なぜニセモノに囲まれると幸せを感じないのか?、、と考えていた時、わたしが以前に読んで影響を受けているのはあの本だった、、と思い出したのです。


「働き方研究家」という肩書きを持つ西村佳哲さんの著書『 自分の仕事をつくる』。

この本に出てくる「パタゴニア」のサンダルを先日買ったところで、「どんな事が書いてあったかな?」と思ったので読み返してみました。再度、というか以前よりもさらに共感する部分が多くて、著者の考え方の先進性に唸ることたびたび。

「ほんとに、こんなやり方で続くのかな!?」と落ち込みそうな時に「誰だって、 自分のやり方を探しているのよね。問題は愛の大きさなんだ!」と励まされる。わたしはここ数日、とても励まされました。

登場する「愛のある仕事人」は、著者がすばらしいと思った商品をデザインした人たちで、それが持っている物のデザイナーだと、そのモノが生まれたのはこういう「働き方」があったからだ、、と納得できるのです。

前書きに「周りの物も風景も、誰かの仕事の結果としてそこにある。その仕事が『こんなもんでいい』という態度で作られていたら、それを手にする人の存在を否定する。それは棘のように精神にダメージを与えているだろう。逆に、心を込めて作られたものはそれを含む世界を良く変えて行く力を持っているのではないか」という主旨の文があって、デザイナーとして出来る事への限界というか、そういう気持ちで見ていた世界が少しふわっと押し広げられたような気がしました。

2003年に出版されたこの本に「これから脱工業化社会が本当に進展しつつあったら」とか「モノがあること、あるいはお金があることが豊かさではないことはわかってきた。では、次に目指すべき豊かさは、どこに」という今起きている社会全体のシフトをすでに見据えているフレーズがあちこちにある。5年前、わたしはまだこの著者ほど環境に対する危機感もなく、育ちすぎた消費社会に違和感も持たず、日々のことにただあくせくしていたなぁ、、と振り返ったりするのでした。

今回、いちばんごん!と腹に応えた一文は 「他者の力を引き出す人」ファシリテーターのところで、人がセルフ・エスティーム(自己是定感情)を育むために第三者に何ができるか、という考察をしている箇所です。

『それは「あなたには価値がある」と口で言うことではなく、その人の存在に対する真剣さの強度を、態度と行動で体現することだと僕は思う。』

これは経営者がスタッフの能力を引き出す、という狭い使われ方を越えて、家族やパートナー、共同体で出会う人々を幸せにし、かつ自分が幸せを感じるための基本中の基本ですね。はぁぁぁ。忙しい、いそがしいとつぶやいてちゃダメだ。こんな大切なことをつい忘れて毎日を過ごしているけど、ちょっとしたきっかけでこの本に再会してこの言葉にもう一度出会えて良かったと思う。パタゴニアのサンダルと、ビジネス旅行にThanks。

ミラノへの旅行で読み始め、最近読み終わった本。

「このデザイン界、この見本市で、わたしは何をどうしたいのだろう?」
「達成したいことは何?その先にどんな幸せが待っているのかな?」
毎年へとへとになりながら、それでも翌年への「目標」のようなものを見つけて帰るミラノ。そんなミラノで読むにはとてもタイムリーだったと思います。自分が誰とどんな風に仕事をして、これから生きていきたいのか、そしてそこから何を得たいのか、サローネの狂騒ぶりと比べながらじっくり考えることができた。

著者の辻信一さんというのは文化人類学社で環境運動家。「100万人のキャンドルナイト」の発起人の一人といえば分かる人もいるかな?たぶん一番有名な著作は『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社)だと思う。わたしもこの本から読み始めました。

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「豊かさ」とう幻想を越えて、という副題のついている最新著書 『幸せって、なんだっけ』は、実は経済学の本です。デザイナーは経済についてそんなに詳しくなくても仕事は出来る、、などと長年思ってたけど、最近、考え方を改めているところで、そんな時にこの本はとても勉強になりました。

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環境に負荷をかけすぎている現代社会の暮らし方を自分たちの代で変えないと、将来の世代に過酷な環境を残してしまう事になる。そして、将来の世代というのはずっと先のことでも何でもなくて、わたしたちの子供の世代が大人になった頃には、すでにいろんなことが限界を越えているだろう、というのが最近の意見の主流です。アメリカや日本、ヨーロッパなどの先進国では、開発途上国と比べると一人当たりのエネルギー消費量が30倍なんだそうです。今、すごい勢いで経済成長をしている大国の中国とインドで大部分の人口が先進諸国と同じような暮らしを始めたら、いま現在消費されてるエネルギー量の12倍が毎年必要になる。ちょっと考えただけでも、このままこんな「成長」が続くのは無理、と分かる。

そんな緊急の事態に、一番見直さなければいけないのが経済のありかたそのもの、そしてそれを支えている「進歩主義」の思想なんだ、というのが著者の意見。そこで、とても普通に戦後60年以上信じられてきた「豊かさ」ということばについて、それはwealthなのかwell-beingなのか、それともkeep developingだったのか?と問いかけ、経済の発展とともに移り変わった「幸せ」の基準についてもっとちゃんと話をしよう、と訴えている。

後半の「カルチャー・クリエイティブ(cultural creatives)」という新しい潮流に属する人、というのがとても面白かった。2000年に出版された『The Cultural Creatives』という本から著者が抜粋して紹介しています。

既存の工業や金融、メディアなどを支配して今でも「進歩、発展、開発」を信じている「近代派(モダンズ)」に対し、一昔まえの伝統を重んじ素朴な田舎の共同体意識を信じる「伝統派(トラッズ)」が対抗勢力として存在したのだけど、20年ぐらい前からそのどちらでもない新しい潮流が生まれて、それが「カルチャー・クリエイティブ」と名付けられた。ヒッピーやフラワー・チルドレンなどの動きが最初にあって、そこから年月をかけて育ったこの「カルチャー・クリエイティブ(略してCC)」集団が、今では先進国の大人の人口の1/3ぐらいを占めるようになっている。この人達の志向や活動が今後の環境問題にとっての大きな望みである、というのが著者の意見です。

ものすごく共感できるこの 「CC」の定義。ちょっと長いけど、引用します。

1)本とラジオ
モダンズとトラッズに比べて、本や雑誌をよく買い、よく読む。テレビよりはどちらかというとラジオが好き。

2)芸術と文化
ほとんどのCC が芸術や文化活動に熱心で、そのためには金を惜しまない人が多い。特に、鑑賞するだけでなく、自分で実際にやってみる事を好む。

3)丸ごと志向
CCには何事にもその「全課程」や「全体像」にかかわることを好む傾向が強い。 ひとつの商品を買うにも、どこで誰がどうやってつくり、使い終わったらどうなるのか、といったことに関心を向ける。

4)ホンモノ志向
市場に「ホンモノかニセモノか」という基準をもちこんだのはCCだ。ニセモノとされるものに、プラスティック製品、模造品、手抜き製品、使い捨て、最先端のファッションなどがある。

5)慎重な消費
衝動買いではなく、買い物の前に「消費者レポート」を調べたり、ラベルをよく読んだりする慎重な消費者が多い。

6)ソフト志向
CCには技術の先端を追う人は少なく、ITでもモダンズに遅れをとっているが、文化的な分野では逆に先端を行く人が多い。

7)食へのこだわり
CCには食に強い関心をもつフーディー(foody)な人が多い。食べものについて喋ること、新しい食べものを試してみること、友だちと一緒に料理すること、レストランに行くことを好む人が多い。エスニック、自然食、健康食への関心も高い。

8)住へのこだわり
自分がどんな家に住むかはCCにとっては大事なことだ。新築の家を買うより、古い家を買って自分の好みにしたがって建て替えをするのを好む。

9) 住環境の重視
新しい郊外より、木の多い、静かな、古い住宅街に住むことを好む人が多い。

10)巣としての住まい
住まいを「巣」や「隠れ家」的なものだと考える傾向がある。そこではプライバシーが尊重される。家の中に仕事場をもつ人が多い。

11)インテリアへのこだわり
自分の好みで芸術作品や工芸品を飾る人が多い。本もインテリアの大事な要素だ。家の外観ではなく、むしろインテリアに自分の趣味やセンスの良さが発揮されると感じている。

12)車
安全で燃費のいい車を好む。ハイブリッド車や燃料電池車のように、よりエコロジカルな車があれば、少し無理をしても買いたいと思う人が多い。

13)休暇と旅行
異国情緒豊で、安全だが冒険的で、体験型で、教育的でスピリチュアルで、まがい物ではなく、できれば現地の人のためにもなるような旅を好む人が多い。エコツーリズム、寺院めぐり、自然や文化の保全に役立つツアーなどが好きだ。嫌いなのはパックツアー、高級リゾート、豪華客船のクルーズ。

14)体験志向
CCは製品より、経験を売るサービス業のよい顧客だ。特に彼らが求めているのは啓発的で、自分を活気づけてくれる、感動的な体験。そうしたニーズに応えるビジネスを担っているのもCCである場合が多い。

15)ホリスティックな健康観
CCは専門家としても顧客としても、代替、補完医療や自然食といった分野の主役だ。彼らにとって重要なのは、からだとこころと魂をバラバラではなく統合的に見るホリスティックな健康観。からだを機械のようなものと考える近代医学に懐疑的。

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なーんだ、自分のことじゃん!と思った人、たくさんいると思うのです。わたしの友人では、これに当てはまらない人のほうが少ないぐらいだ。

そして、これに対する「モダンズ」の価値観がどんなものだったか、というのがまた面白い。 よく考えたら、ひと昔前はこの「モダンズ」的な生き方が主流だったよね、、と実感を持って頷いてしまう。まずは「モダンズにとって一番大事なこと」。

1)たくさんのお金を持つこと、そして稼ぐこと。
2)目標を決めて、その実現のために着実に、そしてその結果がその都度確認できるように、階段を昇ること。
3)魅力的な外観。スタイリッシュであること。
4)ショッピング。特に気分転換や娯楽としての。
5)できるだけ広い選択の自由があること。特に買い物、投票、職業において。
6)仕事においても、消費者としても、流行の先端にいること。
7)国の経済成長や技術的な進歩を支持すること。
8)先住民族、田舎の人々、伝統派、ニューエイジ、宗教的神秘主義を拒絶すること。

さらに「世の中こんなものだ」というモダンズに特徴的な思い込みとして、この15点。

1)内面的、あるいはスピリチュアルなことに関心を持つのはあやしい。
2)メディアによって楽しませてもらう権利がある。
3)からだは機械のようなものだ。
4)組織も機械と似ている。
5)大企業か政府の言うことを聞いていれば安心。
6)大きいほどよい。
7)時は金なり。
8)慎重に計画されたことは実現される。
9)目標を定めること、その実現のために準備することは極めて重要。
10)部分へと分解して検討することが問題解決の最良の方法。
11)科学と工学が、真理とは何かを示している。
12)仕事で一番大事なのは冷静で、理性的であること。
13)効率性とスピードが大事。
14)メディアが大金持ちをもてはやすのは悪いことではない。
15)多様な活動のそれぞれのために、区別され、仕切られた空間を持つのはいいことだ。

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引用長くなったけど、これでたったの2ページ分ぐらいしか、書き写してません。

これを読んで「カルチャー・クリエイティブって自分のことじゃん」と思ったあなた、この本を読んで、さらにそのCC集団が地球を救う「希望」なのだということを知って、自覚して欲しいと思う。 そう、わたしたちの毎日の行動が、そしてそれを理解してくれる友人や家族に話してみることが、環境問題にとってとても大切なことなんだ、と勇気を持たせてくれる本です。