京都にある記念館を訪れた時にそこで買った、作陶家、河井寛次郎のエッセイ集『火の誓い』をやっと読み終えました。
「序」にあるように、この本には彼が「美とは何から生まれるのか?」というふつふつとした疑問に対し、子供の頃の思い出や職人の仕事を見て感じること、友人の作品への感想といったたくさんの入り口を通して答えを探そうとしている日々の思索が綴られています。
「人は物の最後の効果だけ熱心になりがちである。そして物からは最後の結果に打たれるものだと錯誤しがちである。しかし実は、直接に物とは縁遠い背後のものに一番打たれているのだという事のこれは報告でもある。」という一文ですでに、ページを一旦閉じてしばらく咀嚼してはまた戻る、、、そういう噛みしめるような読み方をした久しぶりの本でした。
デルフトの陶器に出会い、その作者の試行錯誤を想像する。あたかも彼自身がオランダの地で遠い中国の「青華」に心うばわれ再現しようとあれこれ工夫する陶工であるかのような描写に引き込まれる「陶器からの聞き書き」。
そう、素晴らしい物に出会った時、これに似た想像をしてデザイナーや作者の思いをなぞる事がある、、、と思い当たります。 河井寛次郎の眼差しは、素朴な藁の細工や農村の合理的で質素なたたずまい、地方の窯場で作られる飾り気のない日用の雑器に向けられ、その背後にある風土と知恵と歴史を追い、そこにこそ本質的な美しさがあることを教えてくれます。
中頃のページにある地方の窯場のたたずまいや彼が育った山陰の風物の描写はどれも、わたしたちがすでに失ってしまった美しい日本を想像させ、そういう生き生きとした記憶を持ち得ないわたし自身が育った環境を考えるとだんだんと悲しくなってくる、、、それが正直な感想で、だからこの本を読み終えるのに半年以上もかかってしまったのでした。
そして後半、作陶家である彼が自分の作品とどう向き合うかを詩にした『いのちの窓』。これは、圧巻です。
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「閉門
何ものも清めて返す火の誓い」
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彼にとって、焼成の過程は「火が作品を清めてくれる」ものだったのですね。そんな「扉を閉めたら、あとは偶然に作品を委ねる」陶芸の世界に、強い憧れの気持ちを抱きました。
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新しい自分が見たいのだー仕事する
物買って来る 自分買って来る
ひとりの仕事でありながら
ひとりの仕事でない仕事
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自分の中にあるものが良い形で反映されるような仕事がしたい。わたしが今日、たくさんの物の中から選び取って買うものは、それがどんな性質のものであれ将来の自分を作り上げる一因になる。デスクの上の風景ですら、明日のわたしの仕事の美意識を育てたり壊したりするかもしれない。どんな仕事をするかは自分ひとりで決定していくしかないけれど、どんな仕事も自分ひとりの力ではなし得ない、、、。簡潔な詩に触発され、あふれるようにあれこれ考えはじめた。言葉の力を感じます。
ものを見ること、背景を考えること、意思を持って選び取ること。その日々の積み重ねの大事さを静かに、そして力強く教えてくれたエッセイでした。

写真はエッセイでも触れられ、あとがきで記念館の館長である娘の河井須也子さんも書いている藁細工の座布団と、その上であくびする猫。