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善きしごと・artisan

なんと、このブログに以前にポストを載せてから2年以上が経っていました!

twitterでつぶやき始めると140文字以上を書くのが次第におっくうになり、そののちFBで写真をたくさん掲載できるようになるとこっちが便利!と乗り換え。まとまった文章を書かなくなるのはわたしの日本人らしさの衰退なので、ここで気持ちを新ため、レポートを再開します。

この印刷物は、2008年の4月(ほぼ9年前!)にも紹介した、もう10年以上配、毎週配達してもらっているRiverfordの有機野菜の箱に入って届く、生産地からのニュースです。

riverford news

執筆者のGuy Watson氏は、今ではずいぶん大きな産業に育った有機野菜デリバリーの草分けです。1993年に Riverford を始め、共労する有機農園を少しずつ増やし、フランスやスペインにも農地を広げて活動を続けています。このごろはBBCのラジオ番組で食の安全について話すほどの有名人なのですが、今もこうやって消費者のためにニュースを書き続けています。

ニュースでは、雪が降って作業できないくらい農地がぬかるんだり、ぜんぜん雨が降らなくて次の季節の水を心配したり、ある種類の野菜が思わぬ大収穫で売りさばくのに困ったり、という現地の出来事がレポートされ、さらにオーガニック野菜を取り巻く社会の変化、まだ続く合成肥料や化学薬品での害虫駆除が大地にどんな影響を地域に与えるか、どんな新技術が有機農園の経営を助けるのか、という社会的なことも伝えられます。

同じくらいの金額を支払うなら、見た目とコストパフォーマンスで商品を選んでいる大手のスーパーよりも、地域の保全を考えながら体にも良い野菜を生産する人たちから直接買い物をしたい。そう思って始めたこのデリバリーは、野菜の味がものすごく良い、という最大のメリットと、意識的な消費で地域を助けるというポイントに付け加え、毎日の消費がわたしたちを取り巻くグローバルな環境と直接つながっていることを思い出させてくれる、大切なメディアなのです。

ニュースレターは RiverfordのHPで読めるアーカイブにもなっているのですが、土だらけの野菜と一緒に届けられる、汚れてよれっとしているこの印刷物(もちろん堆肥OKの有機インク)が一番、現場の雰囲気が伝わって土の近くにいる感触をくれます。

Ooops it was more than 2 years ago when I last posted an article here!

Twitter made me not to write more than 140 letters, then Face Book made me even lazy, as numbers of pictures replaced text or comments.  To prevent me forgetting my mother tongue Japanese, I start to write again!

The image above is newsletters delivered with vegetable box from Riverford – I posted once about their veg in 2008 ( 9 years ago! ).

The author of these news is Guy Watson, who has started this venture of organic veg box in 1993.  This organic veg box delivery has grown enormously since, and we hear his voice on BBC radio 4 sometime – but still he keeps writing what is happening at the farming front to his consumers.

We read about how snow make we soil and affect efficiency of cropping or farmers are worrying next season if we have little rain.  Sometime, we learn how farmers struggle to sell when they have unexpectedly good harvest of some vegetable.  Adding to those everyday matter, Guy tells us about social shift around organic issue and how still huge company dominates chemical farming reality.  It is amazing to know some latest technology, such as GPS improve small farmer’s efficiency.

I decided to use Riverford because I want to pay same amount of money to smaller and ethical farmers rather than the gigantic supermarkets.  The largest pleasure is of course the taste of vegetable – and it became an important media for me to realise our consumption is directly related to our global environment.

You can read Guy’s letter in the archive – but for me, this mud dirty wrinkled paper delivers the best feeling that my thought is sometime near the earth.

ロンドン中心部にお買いものに行って、あるビルの入り口の床材を張り直しているところを発見。色付きの陶土を小さなタイルにしたもので、約150年ぐらい前のヴィクトリア時代に流行した様式です。ビルが建てられた年代に併せ、復元しているもよう。

小さめのタイルを均一な目地幅を残して綺麗にレイアウトするのは職人技ですが、今でもその技術が残され使われているのが素晴らしい。

下の写真は改築中の別のビルで、もともとあった木製の手すりを一度外し、掃除と修復を施して元の壁に戻したところです。こういう修復は、新しいものを取り付けるよりも手間ひまがかかって施工コストも工期もかさみますが、それを受け入れて建物の歴史を新しい内装に残すことに決めた施主の意識の高さに拍手をおくります。

I respect people to pay a little more to retain a memory of a place – they help to succeed arts by fabricators and builders, too.

The two top picture are from an Victorian building in central London, where the floor is restored with original method of mosaic tiles.  The above picture is a handrail, which was taken down once to be cleaned and restored, then put back to the original wall after the whole staircase was refurbished.

ずっと昔にインターンとして勤めてくれたデザイナーが関わった「ツリーハウス」を見に行きました。那須の二期クラブの庭、渓谷に流れる川沿いの場所。

木に寄りかかり、その構造に助けを借りながらもできるだけ傷つけないよう工夫された木の上の家は、中に小さな薪ストーブとソファーもあって、川を見下ろす大きな窓が開いたとても心地のよい場所でした。

那須は朝夕に涼しい風が吹き、さすがの避暑地でした。けれど、有機野菜マーケットですら野菜の放射能残留値を示さないと安心できなかったり、牛乳が売れなくなって酪農家が閉じたりと、3.11の影響を受けつづけています。ある場所の、永年つちかわれた文化をじわじわと壊してしまう可能性のある、そんなエネルギー政策はほんとうに見直す必要がある、そう感じた旅でした。

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I visited a treehouse, which is built on a garden of Niki Club in Nasu, Japan.  The treehouse is relying on the structure of a tree, but carefully avoiding to damage the tree.  In the room there is a little wood stove, a sofa and a large window for you to look down a little stream beside the tree.

Nasu was originally opened by Europeans who wanted to escape hot Tokyo during the summer.  Now the area has the Hot Spot problem since the Fukushima nuclear power plant was damages by Tsunami in 2011 – somehow, the wind delivers high concentration of radioactive contaminant to the area.

I think it is urgent to raise awareness for changing energy policy of Japanese government.  It is so obvious that they cannot continue to build and run fragile nuclear power plants on shaken island and destroy their indigenous culture attached to local lives.

先日ここに書いたエキサイトの「これ、誰がデザインしたの?」を遡って読んでいたら、日本滞在中に見逃してしまったらしい汐留ミュージアムでのウィリアム・ド・モーガン展のことが紹介されていました。

イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動でウィリアム・モリスと一緒に中心的なデザイナーだったウィリアム・ド・モーガンの作品が多数展示されているようです。まとめて見るチャンスを逃したのは、残念。実はド・モーガンのいくつかの作品は身近な存在なのです。

毎朝、顔を洗う洗面台にタイルが2枚、置いてあります。パートナーが何年も前に買ったもので、タイルとほぼ同じ頃に建てられた家によく合っています。キッチンに飾られている絵皿もド・モーガンの作だと知ったのは最近になってからですが、これらはどれも、真ん中で割れていて裏から金属のピンでくっつけてあったり、一部分欠けてなくなっていたりして骨董価値はないらしい。そういう状態のものなら今でも古物屋に出回るらしく、友人宅でもこの色合いの皿を見たことがありますが、どれも装飾的だけれど表情のある動物や鳥がいきいきと描かれています。

スタジオと家のちょうど中間あたりの街WalthamstowにあるWilliam Morris Galleryに行くと、アーツ・アンド・クラフツの家具やタペストリーやガラス器などと一緒に、ド・モーガンのタイルも展示されています。

右下の野うさぎがかわいい。けれど、これは繁殖期にボクシングのような戦いをして、勝った方が力を誇示している図柄らしく、たしかに左の野うさぎは 表情がしょぼんとしています。ここはウィリアム・モリスが生前に住んでいた家がミュージアムとして公開されているもので、ステンド・グラスや内装も残され、当時のたたずまいが楽しめる場所です。

ロンドンの西のChiswickにはド・モーガンのタイルが今も残っているパブ The Tabard Inn があって、近くに行くと寄ることがあります。ここに描かれているへびは迫力です。

前述の「これ、誰がデザインしたの?」の記事ではじめて知った Leighton House はミュージアムになっていますが、現在改修工事中で2010年の4月に再公開するようです。ここにはド・モーガンが監修をし、彼のタイル作品のルーツだった中東のタイルでびっしり装飾された部屋があるみたいで、春になったらぜひ行ってみようと思います。

秋の深まってきた今の空気とド・モーガンの使ったターコイスやれんが色の色調がぴったり合うからか、なんだか芋づる式に興味のわいた記事でした。紹介されていた「Spooks」というテレビシリーズのYouTubeもいくつか観たけど、ロケーションとなったLeighton Houseは確認できず。あと何本か観てみようかな。

京都にある記念館を訪れた時にそこで買った、作陶家、河井寛次郎のエッセイ集『火の誓い』をやっと読み終えました。

「序」にあるように、この本には彼が「美とは何から生まれるのか?」というふつふつとした疑問に対し、子供の頃の思い出や職人の仕事を見て感じること、友人の作品への感想といったたくさんの入り口を通して答えを探そうとしている日々の思索が綴られています。

「人は物の最後の効果だけ熱心になりがちである。そして物からは最後の結果に打たれるものだと錯誤しがちである。しかし実は、直接に物とは縁遠い背後のものに一番打たれているのだという事のこれは報告でもある。」という一文ですでに、ページを一旦閉じてしばらく咀嚼してはまた戻る、、、そういう噛みしめるような読み方をした久しぶりの本でした。

デルフトの陶器に出会い、その作者の試行錯誤を想像する。あたかも彼自身がオランダの地で遠い中国の「青華」に心うばわれ再現しようとあれこれ工夫する陶工であるかのような描写に引き込まれる「陶器からの聞き書き」。

そう、素晴らしい物に出会った時、これに似た想像をしてデザイナーや作者の思いをなぞる事がある、、、と思い当たります。 河井寛次郎の眼差しは、素朴な藁の細工や農村の合理的で質素なたたずまい、地方の窯場で作られる飾り気のない日用の雑器に向けられ、その背後にある風土と知恵と歴史を追い、そこにこそ本質的な美しさがあることを教えてくれます。

中頃のページにある地方の窯場のたたずまいや彼が育った山陰の風物の描写はどれも、わたしたちがすでに失ってしまった美しい日本を想像させ、そういう生き生きとした記憶を持ち得ないわたし自身が育った環境を考えるとだんだんと悲しくなってくる、、、それが正直な感想で、だからこの本を読み終えるのに半年以上もかかってしまったのでした。

そして後半、作陶家である彼が自分の作品とどう向き合うかを詩にした『いのちの窓』。これは、圧巻です。

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「閉門
何ものも清めて返す火の誓い」

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彼にとって、焼成の過程は「火が作品を清めてくれる」ものだったのですね。そんな「扉を閉めたら、あとは偶然に作品を委ねる」陶芸の世界に、強い憧れの気持ちを抱きました。

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新しい自分が見たいのだー仕事する

物買って来る 自分買って来る

ひとりの仕事でありながら
ひとりの仕事でない仕事

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自分の中にあるものが良い形で反映されるような仕事がしたい。わたしが今日、たくさんの物の中から選び取って買うものは、それがどんな性質のものであれ将来の自分を作り上げる一因になる。デスクの上の風景ですら、明日のわたしの仕事の美意識を育てたり壊したりするかもしれない。どんな仕事をするかは自分ひとりで決定していくしかないけれど、どんな仕事も自分ひとりの力ではなし得ない、、、。簡潔な詩に触発され、あふれるようにあれこれ考えはじめた。言葉の力を感じます。

ものを見ること、背景を考えること、意思を持って選び取ること。その日々の積み重ねの大事さを静かに、そして力強く教えてくれたエッセイでした。


写真はエッセイでも触れられ、あとがきで記念館の館長である娘の河井須也子さんも書いている藁細工の座布団と、その上であくびする猫。

鉄。

今回の帰国で撮った写真を整理していると、たくさんの「鉄」が写っていました。

風雪を経てざらざらした表面、その凹凸からまだらになった色合い。風化しても、ちゃんとその役目を果たしている鉄たち。英語で言う「patina」ですね。隣り合った木のなめらかで優しい歳の取りかたに、鉄のパティーナがより引き立てられている。


ここまでの写真は法隆寺で撮ったもの。

法隆寺は再発見でした。あんな美しいプロポーションで地震にも耐える構造の建築が1400年も前に建てられ、雨風を受けて装飾が落ちた「素」のものが迫力を持って目の前に存在する、その不思議さ。困難な、手のかかる仕事をたくさんの職人が信念を持ってやりとげた結果なのだな、、、と思いを馳せました。

行きにくい場所にあるからか空いていて、修学旅行バスの中学生が通り過ぎると、ゆったりした時間を堪能しました。こんな不便な場所にあるから、いにしえそのままの広い空を体験できたのだ、、、と感謝したり。

でも、まわりの街はほんとうに殺風景です。国道沿いにはパチンコ店、乱雑な看板、さびついた広告ベンチのあるバスターミナル、、、。どうしてこんな素晴らしい遺産のまわりが、ここまで荒れ果ててしまうのだろう。地元の人は法隆寺を観光資源とは思っているけど、周りの印象が良ければ旅人は「リターン」する、という世界の観光地の法則を知らないようです。誰か、教えてあげてください!

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「パティーナ」の話をしていたのでした。どうも、今回の旅行以来、センスのない日本の地方開発と殺風景な観光地について、つい愚痴ってしまう、、、。

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もう一つ見た「鉄」は不思議なバランスの茶釜です。


歴史保存街区のある奈良県橿原市の今井町で、酒造家を見学した時に二階の座敷に置かれていたものです。箱書きの歴代の持ち主に、織田信長と豊臣秀吉の名前があるのだけど、、、。あながち嘘とも思えないこの存在感。

底が広いのは熱を受ける効率が良く、湯が冷めにくいよう口は狭く。浮かび上がった文字は「内」と「火」の組み合わされたものに見えます。この茶釜が炉に掛けられ、しゅんしゅんと音を立てているところを想像してみる。炭のにおいが漂い、ぴりっとした空気に湯気の湿り気がたちこめる室内。

茶の湯の世界はあまりに深そうでなかなか立ち入れないのですが、美しいと思った道具を使ってみたくてその扉を開く、という入り口もあるのかもしれません。

先日、帰国しました。仕事で東京と関西の間をよく往復するのですが、その中間の名古屋から内陸に足を延ばし、時間が許せば寄りたい場所があります。

多治見のギャルリ百草。今回は秋の夕暮れを楽しみました。帰路は虫の合唱に送られて。


作陶家の安藤雅信さんの仕事を『茶の箱』という本で見つけ、カフェのことを雑誌で読んで行ってみたのが昨年の夏。2度目の訪問は「茶の箱展」第3回のオープニングで、作家さんたちの集まる様子を垣間みました。

今回はとくに安藤明子さんの作る「サロン」 というスカートが目当てでした。最初の訪問でふと買ったこのサロンが夏に活躍したので、冬用が欲しくなって。重ねて着るやり方をお店の人に教えてもらい、じっくりと時間をかけて選びました。ここはスタッフの人達がいつも素晴らしいのです。

サロンを着ると、振る舞いや歩き方が少しゆったり女らしくなる気がします。着物のような「裾さばき」が必要になるから。この秋冬は短めのブーツとあわせて重ね着を楽しもうと思っています。