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善きしごと・artisan

去年観た展示の中で、3つとても印象に残ったものがあって、そのひとつが21_21デザインサイトで開催中の『活動のデザイン』展です。この展示がどうして重要なのか、ここで書こう、書こうと思っているうちに展示会があと一週間になっていました。来週末が最後のチャンスです。ぜひぜひ、まだ観ていない方は行ってみてください。

One of the best exhibition I have seen in the last year was “The Fab Mind” at 21_21 Design Sight, Tokyo.  I realise this exhibition is finishing next weekend and I hope to let people to not miss it before its ending!

どうしてこの展示が良かったのか、それは今からゆっくり分析して書き足します。ともかく、見逃さないで!というメッセージをここに。

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この、21_21デザインサイトの入り口にもかかってる「ロースさんのセーター」の展示では、会場で放映されているムービーを観てなぜか涙が止まりませんでした。「デザイン」は、こういう事も、そんな事柄にも登場できるのだ、、、ということをたくさんの人に知って欲しいと思います。

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ロンドン中心部にお買いものに行って、あるビルの入り口の床材を張り直しているところを発見。色付きの陶土を小さなタイルにしたもので、約150年ぐらい前のヴィクトリア時代に流行した様式です。ビルが建てられた年代に併せ、復元しているもよう。

小さめのタイルを均一な目地幅を残して綺麗にレイアウトするのは職人技ですが、今でもその技術が残され使われているのが素晴らしい。

下の写真は改築中の別のビルで、もともとあった木製の手すりを一度外し、掃除と修復を施して元の壁に戻したところです。こういう修復は、新しいものを取り付けるよりも手間ひまがかかって施工コストも工期もかさみますが、それを受け入れて建物の歴史を新しい内装に残すことに決めた施主の意識の高さに拍手をおくります。

I respect people to pay a little more to retain a memory of a place – they help to succeed arts by fabricators and builders, too.

The two top picture are from an Victorian building in central London, where the floor is restored with original method of mosaic tiles.  The above picture is a handrail, which was taken down once to be cleaned and restored, then put back to the original wall after the whole staircase was refurbished.

ずっと昔にインターンとして勤めてくれたデザイナーが関わった「ツリーハウス」を見に行きました。那須の二期クラブの庭、渓谷に流れる川沿いの場所。

木に寄りかかり、その構造に助けを借りながらもできるだけ傷つけないよう工夫された木の上の家は、中に小さな薪ストーブとソファーもあって、川を見下ろす大きな窓が開いたとても心地のよい場所でした。

那須は朝夕に涼しい風が吹き、さすがの避暑地でした。けれど、有機野菜マーケットですら野菜の放射能残留値を示さないと安心できなかったり、牛乳が売れなくなって酪農家が閉じたりと、3.11の影響を受けつづけています。ある場所の、永年つちかわれた文化をじわじわと壊してしまう可能性のある、そんなエネルギー政策はほんとうに見直す必要がある、そう感じた旅でした。

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I visited a treehouse, which is built on a garden of Niki Club in Nasu, Japan.  The treehouse is relying on the structure of a tree, but carefully avoiding to damage the tree.  In the room there is a little wood stove, a sofa and a large window for you to look down a little stream beside the tree.

Nasu was originally opened by Europeans who wanted to escape hot Tokyo during the summer.  Now the area has the Hot Spot problem since the Fukushima nuclear power plant was damages by Tsunami in 2011 – somehow, the wind delivers high concentration of radioactive contaminant to the area.

I think it is urgent to raise awareness for changing energy policy of Japanese government.  It is so obvious that they cannot continue to build and run fragile nuclear power plants on shaken island and destroy their indigenous culture attached to local lives.

先日ここに書いたエキサイトの「これ、誰がデザインしたの?」を遡って読んでいたら、日本滞在中に見逃してしまったらしい汐留ミュージアムでのウィリアム・ド・モーガン展のことが紹介されていました。

イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動でウィリアム・モリスと一緒に中心的なデザイナーだったウィリアム・ド・モーガンの作品が多数展示されているようです。まとめて見るチャンスを逃したのは、残念。実はド・モーガンのいくつかの作品は身近な存在なのです。

毎朝、顔を洗う洗面台にタイルが2枚、置いてあります。パートナーが何年も前に買ったもので、タイルとほぼ同じ頃に建てられた家によく合っています。キッチンに飾られている絵皿もド・モーガンの作だと知ったのは最近になってからですが、これらはどれも、真ん中で割れていて裏から金属のピンでくっつけてあったり、一部分欠けてなくなっていたりして骨董価値はないらしい。そういう状態のものなら今でも古物屋に出回るらしく、友人宅でもこの色合いの皿を見たことがありますが、どれも装飾的だけれど表情のある動物や鳥がいきいきと描かれています。

スタジオと家のちょうど中間あたりの街WalthamstowにあるWilliam Morris Galleryに行くと、アーツ・アンド・クラフツの家具やタペストリーやガラス器などと一緒に、ド・モーガンのタイルも展示されています。

右下の野うさぎがかわいい。けれど、これは繁殖期にボクシングのような戦いをして、勝った方が力を誇示している図柄らしく、たしかに左の野うさぎは 表情がしょぼんとしています。ここはウィリアム・モリスが生前に住んでいた家がミュージアムとして公開されているもので、ステンド・グラスや内装も残され、当時のたたずまいが楽しめる場所です。

ロンドンの西のChiswickにはド・モーガンのタイルが今も残っているパブ The Tabard Inn があって、近くに行くと寄ることがあります。ここに描かれているへびは迫力です。

前述の「これ、誰がデザインしたの?」の記事ではじめて知った Leighton House はミュージアムになっていますが、現在改修工事中で2010年の4月に再公開するようです。ここにはド・モーガンが監修をし、彼のタイル作品のルーツだった中東のタイルでびっしり装飾された部屋があるみたいで、春になったらぜひ行ってみようと思います。

秋の深まってきた今の空気とド・モーガンの使ったターコイスやれんが色の色調がぴったり合うからか、なんだか芋づる式に興味のわいた記事でした。紹介されていた「Spooks」というテレビシリーズのYouTubeもいくつか観たけど、ロケーションとなったLeighton Houseは確認できず。あと何本か観てみようかな。

京都にある記念館を訪れた時にそこで買った、作陶家、河井寛次郎のエッセイ集『火の誓い』をやっと読み終えました。

「序」にあるように、この本には彼が「美とは何から生まれるのか?」というふつふつとした疑問に対し、子供の頃の思い出や職人の仕事を見て感じること、友人の作品への感想といったたくさんの入り口を通して答えを探そうとしている日々の思索が綴られています。

「人は物の最後の効果だけ熱心になりがちである。そして物からは最後の結果に打たれるものだと錯誤しがちである。しかし実は、直接に物とは縁遠い背後のものに一番打たれているのだという事のこれは報告でもある。」という一文ですでに、ページを一旦閉じてしばらく咀嚼してはまた戻る、、、そういう噛みしめるような読み方をした久しぶりの本でした。

デルフトの陶器に出会い、その作者の試行錯誤を想像する。あたかも彼自身がオランダの地で遠い中国の「青華」に心うばわれ再現しようとあれこれ工夫する陶工であるかのような描写に引き込まれる「陶器からの聞き書き」。

そう、素晴らしい物に出会った時、これに似た想像をしてデザイナーや作者の思いをなぞる事がある、、、と思い当たります。 河井寛次郎の眼差しは、素朴な藁の細工や農村の合理的で質素なたたずまい、地方の窯場で作られる飾り気のない日用の雑器に向けられ、その背後にある風土と知恵と歴史を追い、そこにこそ本質的な美しさがあることを教えてくれます。

中頃のページにある地方の窯場のたたずまいや彼が育った山陰の風物の描写はどれも、わたしたちがすでに失ってしまった美しい日本を想像させ、そういう生き生きとした記憶を持ち得ないわたし自身が育った環境を考えるとだんだんと悲しくなってくる、、、それが正直な感想で、だからこの本を読み終えるのに半年以上もかかってしまったのでした。

そして後半、作陶家である彼が自分の作品とどう向き合うかを詩にした『いのちの窓』。これは、圧巻です。

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「閉門
何ものも清めて返す火の誓い」

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彼にとって、焼成の過程は「火が作品を清めてくれる」ものだったのですね。そんな「扉を閉めたら、あとは偶然に作品を委ねる」陶芸の世界に、強い憧れの気持ちを抱きました。

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新しい自分が見たいのだー仕事する

物買って来る 自分買って来る

ひとりの仕事でありながら
ひとりの仕事でない仕事

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自分の中にあるものが良い形で反映されるような仕事がしたい。わたしが今日、たくさんの物の中から選び取って買うものは、それがどんな性質のものであれ将来の自分を作り上げる一因になる。デスクの上の風景ですら、明日のわたしの仕事の美意識を育てたり壊したりするかもしれない。どんな仕事をするかは自分ひとりで決定していくしかないけれど、どんな仕事も自分ひとりの力ではなし得ない、、、。簡潔な詩に触発され、あふれるようにあれこれ考えはじめた。言葉の力を感じます。

ものを見ること、背景を考えること、意思を持って選び取ること。その日々の積み重ねの大事さを静かに、そして力強く教えてくれたエッセイでした。


写真はエッセイでも触れられ、あとがきで記念館の館長である娘の河井須也子さんも書いている藁細工の座布団と、その上であくびする猫。

鉄。

今回の帰国で撮った写真を整理していると、たくさんの「鉄」が写っていました。

風雪を経てざらざらした表面、その凹凸からまだらになった色合い。風化しても、ちゃんとその役目を果たしている鉄たち。英語で言う「patina」ですね。隣り合った木のなめらかで優しい歳の取りかたに、鉄のパティーナがより引き立てられている。


ここまでの写真は法隆寺で撮ったもの。

法隆寺は再発見でした。あんな美しいプロポーションで地震にも耐える構造の建築が1400年も前に建てられ、雨風を受けて装飾が落ちた「素」のものが迫力を持って目の前に存在する、その不思議さ。困難な、手のかかる仕事をたくさんの職人が信念を持ってやりとげた結果なのだな、、、と思いを馳せました。

行きにくい場所にあるからか空いていて、修学旅行バスの中学生が通り過ぎると、ゆったりした時間を堪能しました。こんな不便な場所にあるから、いにしえそのままの広い空を体験できたのだ、、、と感謝したり。

でも、まわりの街はほんとうに殺風景です。国道沿いにはパチンコ店、乱雑な看板、さびついた広告ベンチのあるバスターミナル、、、。どうしてこんな素晴らしい遺産のまわりが、ここまで荒れ果ててしまうのだろう。地元の人は法隆寺を観光資源とは思っているけど、周りの印象が良ければ旅人は「リターン」する、という世界の観光地の法則を知らないようです。誰か、教えてあげてください!

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「パティーナ」の話をしていたのでした。どうも、今回の旅行以来、センスのない日本の地方開発と殺風景な観光地について、つい愚痴ってしまう、、、。

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もう一つ見た「鉄」は不思議なバランスの茶釜です。


歴史保存街区のある奈良県橿原市の今井町で、酒造家を見学した時に二階の座敷に置かれていたものです。箱書きの歴代の持ち主に、織田信長と豊臣秀吉の名前があるのだけど、、、。あながち嘘とも思えないこの存在感。

底が広いのは熱を受ける効率が良く、湯が冷めにくいよう口は狭く。浮かび上がった文字は「内」と「火」の組み合わされたものに見えます。この茶釜が炉に掛けられ、しゅんしゅんと音を立てているところを想像してみる。炭のにおいが漂い、ぴりっとした空気に湯気の湿り気がたちこめる室内。

茶の湯の世界はあまりに深そうでなかなか立ち入れないのですが、美しいと思った道具を使ってみたくてその扉を開く、という入り口もあるのかもしれません。

先日、帰国しました。仕事で東京と関西の間をよく往復するのですが、その中間の名古屋から内陸に足を延ばし、時間が許せば寄りたい場所があります。

多治見のギャルリ百草。今回は秋の夕暮れを楽しみました。帰路は虫の合唱に送られて。


作陶家の安藤雅信さんの仕事を『茶の箱』という本で見つけ、カフェのことを雑誌で読んで行ってみたのが昨年の夏。2度目の訪問は「茶の箱展」第3回のオープニングで、作家さんたちの集まる様子を垣間みました。

今回はとくに安藤明子さんの作る「サロン」 というスカートが目当てでした。最初の訪問でふと買ったこのサロンが夏に活躍したので、冬用が欲しくなって。重ねて着るやり方をお店の人に教えてもらい、じっくりと時間をかけて選びました。ここはスタッフの人達がいつも素晴らしいのです。

サロンを着ると、振る舞いや歩き方が少しゆったり女らしくなる気がします。着物のような「裾さばき」が必要になるから。この秋冬は短めのブーツとあわせて重ね着を楽しもうと思っています。

8月の末にAXISでフォーラムをやった時に出会ったデザイナーのひとりに「イギリスを観光するなら、外せない場所は?」と訊かれたのですが、その時に「design-hugのブログで書くから」と答えてから2週間以上経ちますね。すでに旅立ってしまったでしょうか?イギリスでもこれを読めていることを祈って。


Kettle’s Yard。ケンブリッジの中心街から少しだけ北にあるアートギャラリーの隣に、1930年代にテート・ギャラリーのキュレーターだった夫妻の住まいとアートコレクションが残っていて、それが一般公開されています。わたしはここが大好きで、これは英国の宝だと思っています。

入り口は見逃してしまうほど素っ気ない小さなドアで、ぶら下がっているリングを引っ張ると係の人がドアを開けてくれます。 まず迎えてくれるのはカンディンスキーの版画。そして、夫妻が何十年もの年月をかけて集めたというビーチで拾った「限りなく球に近い石」たち。小さな彫刻と庭の花と、貝殻やガラス玉と一緒に明るい窓辺に飾られています。もうここで、ため息が。


トイレと洗面台の間にベン・ニコルソンの版画。 階段下の小さな空間にピアノがあり、その上にはさりげなくぽつっと、ブランクーシ。。。


コーンウォールの風景画家ブライアン・ピアースがたくさんコレクションされ、ロジャー・ヒルトン、バーバラ・ヘップワース、ナウム・ガボ、ヘンリー・ムーア、ルーシー・リー。

小さなコッテージ3棟を繋げて改築し、1930年代後半のモダン様式でギャラリーとライブラリーを加えた住まいに、そのコレクションと小石や植物の種、金属の破片、ヴィクトリアンのガラス器、ナヴァホの織物などが一緒に飾られている。好きな人だったら、宝探しのような訪問になると思います。


この住まいとアートコレクションが、当時の什器そのままケンブリッジ大学に寄贈され無料で公開されているという、そのスピリットおおらかさ。インテリアを撮影したい人は3ポンドを払い入り口で許可を得ますが、「本当に3ポンドでいいんでしょうか?」といつも思います。何度行っても「帰りたくない、ここに泊まりたい。」と思う場所なのです。

Have a good journey.

イギリスの銀行で口座に関するエラーが続き凹んでるんですが、気を取り直して先月帰国してた時に行ったお気に入りの場所について書きます。

ナガオカケンメイさんがやっているD&DEPARTMENT。東京店に行きました。数日前に「情熱大陸」に出たようなので、今たくさんの人の噂にのぼって来客がひっきりなしかもしれないですね。

全国の埋もれたグッドデザインを発掘して蘇生させる独自のコンセプトはすでによく知られているし、わたしが紹介するまでもないと思うのですが、ここの醍醐味はレストランに詰まっていると思った。ぜひここでお昼を食べたり、お茶をしたりしてみてください。とっても懐かしい、誠実で温かく夢見がちだった頃の空気を思い出します。


カトラリーや食器も「品のある」業務用の、とても使いやすいものなのだけど、何にもまして美味しいこと! 岩手に自社の農園のあること、スタッフがそこで農作業の実習をしたりする事を知って、納得しました。下の写真はドライカレー。


シフォンケーキとメープルシロップのアイスクリームも満点。サイズの違う角砂糖が混ぜて入れてあって、好きな量を選べる。こういう細やかな気遣い、すみずみまで清潔なレストランと調理場、気持ちの良い店員さん達。うーん。志の高い人のまわりには、同じ気持ちを共有する優秀な人たちが集まるのだな、、と唸ってしまった。

規模の小さな会社の、心のこもった業務や商品がなつかしい。そういうものに触れると、幸せな気持ちになる。そういうマインドの感じられる仕事だけを集めているD&DEPARTMENTでは、だからこんなに心安らぐ空気が流れているのですね。良質のアルチザンの結晶とでも呼びたい、オアシスのような場所。デザイナーとして日々誰とどんな仕事をしていきたいか。「D&DEPARTMENTに置いてもらえるような仕事をしたいなー。」と、目標のようなものが出来たのでした。

それにしても、手のつけようのない程大きくなって、カスタマー・サービスに血の気の通わなくなった会社とは付き合いたくないと思う。できれば商品を買いたくないし、無責任なサービスに出くわすのも不愉快。どこかに、誠実でなつかしい空気の漂う銀行はないかなぁ、、、。

古い自転車を集めたり、修理して乗ったりするのが趣味な人が、実は世界中にたくさんいます。で、そういう人達が集まってレースをする会、というのもある。快晴の日曜日、西南ロンドンのHern Hillにある自転車競技場でそういうレースがありました。コレクター達と、ピクニック気分で応援に来ている家族や友人が、和気あいあいと集まって。

普通の路上では乗りにくい、レース用のペニー・ファーディングをサーキットで初めて試したわたしのパートナー。作られてから100年以上経っている自転車だけど、とりあえず走れるように調整できたみたいです。


一見ふつうの自転車レースですが、参加はすべて戦前の自転車。近寄ってみると「ほんとだ古い、、」と分かる。ガレージの片隅で、こういう古い物をこつこつと修理するのが趣味な人たちが、たくさんいるのは面白いですね。そして、直したら乗って走る。


車輪が木製の「Bone Shaker」と呼ばれる自転車も登場。 たしかに乗り心地が悪そうだ。

実はわたしも、レディースのレースにちょこっと出ました。Caminargentというフランスのメーカーの1941年製のアルミフレームの自転車で。それが、今までのサイクリングやウォームアップでサーキットを何周かした時はなんともなかったのに、レースでちょっと真剣に飛ばしたら、後ろの車輪がぐらぐらに揺れてそれがハンドルまで伝わって、ものすごく怖かった。


結果はビリ!ヴィンテージ自転車ファンからは絶賛のレアなものらしいけど、「ちょいと角までパンを買いに行くための自転車だから、もともとレース向きじゃないんだよ。」となぐさめられたのでした。まぁ、マシーンの問題だけじゃなく、わたしの脚力もぜんぜんダメですが。

「銀ちゃん2号」という愛称のこの自転車で、今月末にベルギーである「レトロ・ロンド」というサイクリングに参加します。20年以上古い自転車で、服装もレトロな人のみ参加というツーリング・イベント。今度はゆっくり走ります。